ふがいない君と僕たちの青春(リズ青)

 華やかな輝かしい未来とばかり思っていた高校生活は、軽くみえがちな深い失望と絶望、そして挫折を覚えることになるとは思っていなかった。どうやらまだ世界は私たちを飼い慣らしていたいらしい。



 今日の部活は滝先生の都合上早く終わり、部員たちは練習にキリをつけると笑顔で楽器を片付けていく。周りを見渡すともう人は少ない。夏が終わり、学祭の準備がすぐ始まるが、少しばかりの休憩時間といったところか。ほぼ毎日練習をしているが、少し連日の部活に疲れていたので、今日は早く帰ることに決めた。ふと希美の顔が浮かび、せっかくならダメ元で希美と今日帰ろうと誘おうか。もう癖のようなものだが、希美のこと考えると、ふと口角が緩んだ。

7組の教室に入ると、誰もいない教室の後ろの窓際に希美と夏紀がいた。贅沢に椅子を貸し切って3つ並べて、1番端を夏紀が座り、希美は夏紀の膝に頭を乗せて残り2つの椅子に寝転がりながら足をブラブラさせ、学園祭用の楽譜を見ている。夏紀は気にしていない様子で携帯をいじくている。前から仲良かったが、希美が吹奏楽部に戻ってからまた更に仲良くなった2人は違うクラスでもこうして行き来するほど仲がいい。希美は甘えられ上手でも、甘え上手でもあった。普段、誰に対しても斜に構えて不器用な夏紀も希美には甘いのだ。

「あーみぞれ〜!!」

スライド式の扉の動く音で私に気づいた希美は愛嬌のある笑顔を見せて手を大きく振った。希美は友達に会うといつもあなたに会えて嬉しい!という顔を全開でするから、私はいつも舞い上がって勘違いしてしまう。その隣で夏紀がみぞれじゃん、と携帯から顔を上げる。気がついたら二人をじっと見つめていた。心が騒つく。鼓動する心臓あたりが少し痛い。私を見た夏紀が何かを察したのか、はっとして、「希美!そろそろ起きなさいよ!足痺れる!」と肩を叩いて希美を起こそうとするが、希美は動かない。それどころか、希美は「えー、夏紀は私のこと好きじゃないのー」、と口を尖らしてだるそうな甘えた声を出した。

「バカ!なんてことを、」

好きじゃないの?
そのわずかな、他愛のない言葉にめまいがする。同時に密かに燻り続けた胸の奥がマッチに火が点いたように燃えあがる。私は二人のところまで静かに歩いていく。夏紀はどことなく動揺した一方で希美はいつもの笑顔を浮かべている。

「希美」

希美の手をぐいっと引っ張る。思ったより強かったのか、体格が私よりいい希美の体が夏紀から浮いて私の方へ傾いて倒れかける。

「わ、わ!」

反射神経のいい希美は片足を床に付きつつも不安定な体勢を左手で近くの机を持って支える。ちょっと!危ないじゃない、みぞれ!、と夏紀の声が外の世界のように聞こえた。

「なになに?みぞれ」
「立って」

きょとんとした顔をしたまま、私の言う通り従う希美。よいしょ、と私にすがりつきながら立ち上がる。私の両肩に両手を置いて立ち上った時、希美の目線はいつの間にか私のそれを超えていた。無垢で屈託ない顔が私を見つめる。私もその意志の強い目、シャープな輪郭、適度に通った鼻筋、薄い色付きのいい唇をひとつひとち観察した。美人というには言い過ぎるが、小綺麗で適度に整った愛嬌のある顔。ん?、と口角を上げて、私をあたかも小さな子どものように覗き込んで優しく話しかける。すきだな、と思った。

希美は中学時代ヒーローだった。ずっとひとりだった私を救い出してくれた。南中の吹奏楽部の部長でフルートが上手くて、友達も多い人気者。優しいけど言うべきところはちゃんと言えて、行動力があって、いつも爽やかでキラキラしていた。私にないものを全部持っていた。希美と出会ってから色んな世界が色付いて楽しかった。私に笑顔を向けてくれたり、話しかけてくれるだけで幸せだった。 恋めいたもの、だった。

希美は高校に入ってから変わった。一回好きなものを手放して、人生初めての挫折をしたのだ。前ほど屈託のない笑顔を見せることなくなっていた。
柔らかくて優しそうに見えて、頑固で喜怒哀楽が激しくてひとつのことに集中してしまうと、周りが見えなくなる。みんなが見て見ぬふりをする社会の曲がった物事を彼女は無視することが出来ず、果敢に主張し衝突する。だから、ボロボロになってしまった。彼女はかなり器用なように見えて、とても不器用であったのだことにその時は気づかなかった。

「みぞれ?」

後から夏紀に聞いたが、私は希美がフルートパートで存在を無視され続けて苦しんでたことを聞いた。それを聞いてから、自分の鈍さを相当呪ったが、幸か不幸か、希美は私のことを前より見てくれるようになった。部活に復帰後は前より話しかけてくれて、前より気にかけてくれる。欠点を見つけたら普通なら失望を覚えるが、少し気持ち悪いだろうか、欠点のある希美がまた好きになった。
私にも機会が巡ってきたのかもしれない。彼女との架け橋のためのオーボエのおかげで彼女は私を見つけてくれるのだ。
放課後の夕方の光が窓から差し込んで、希美の顔が赤色に照らされて、綺麗だな、と思った瞬間、私は足先に力を入れて、希美の目線の高さを合わせると、自然にその薄い唇に自分のを触れさせた。心地よい滑らかな柔らかい感触が広がった。それは、静かに。それは、情熱的に。

「え?」

夏紀の声が左から聞こえた。その声に現実にも戻った。私は何をしてるんだろう。自分の唇の柔らかい感触。希美は大きな目をさらに大きくしている。自分の血の気が引いた。
希美に、気持ち悪いと思われる。
悪い考えと言葉がどんどん脳裏に浮かんで、頭が真っ白になって倒れそうになる。息も上がり始める。倒れそうにな私の前に温かい体温が右手に触れた。

「みぞれ、オーボエ聴かせてよ」

驚いた顔は一瞬で、私が安心させるような笑顔で言った。魔法の一言。それに対して私の体温が元へ戻っていく。返事をする前に希美は私の右手を掴んだまま、教室から連れ出した。
なかったことにされた一瞬に私の言葉を代弁して、夏紀が何だったの、と呟いた声が閉じる前の教室から聞こえた。


連れて行かれたのは音楽室だった。もう下校時間に近いから誰もいない。

「誰もいないね」

希美は手を離して、窓際まで歩いて、机の上に座る。隣まで歩くと、窓から運動部が掛け声をあげながらランニングしていた。希美の前の椅子に座って一緒にグラウンドを見る。
持っていたオーボエの調整をしていつもの練習のように吹いてみる。オーボエの音が放課後の音楽室に響く。希美と一緒で楽しいという感情が音に混じりこんでいく。希美といるときと、希美がいないときの音の違いは自分でも自覚してる。自分がこんなに繊細だとは希美がいなくなるまで気づかなかった。しばらく吹くと、グラウンドを見ていた希美が「みぞれのオーボエ好きだな」と呟いた。

「私もみぞれみたいに人のこと気にせず一人で頑張れたら」

細い指が私の頭を撫でる。昔から希美に褒められることが1番のモチベーションだった。希美の何てことない言葉に自分でも驚く程体が熱くなって、顔も熱い。喜びと嬉しさが全身を駆け巡るようだった。

「やっぱりかわいいなぁ、みぞれは」

希美の顔がふと近づく。希美のシャンプーの匂いが微かに鼻腔をくすぐる。希美は綺麗に瞼を閉じると、軽く私の唇にちゅっ、とキスをした。

「仕返し」
「……っ」

ニッと希が笑った。思わぬ不意打ちに身体中がさらに熱くなる。胸が破裂しそうなぐらい鼓動をしている。手を唇に当てて、下を向くと、手まで赤くなっていた。

「あはは、かわいー!」

軽やかな言葉と共に再び希美に頭を撫ぜられる。今度は嬉しさに悔しさ、もどかしさが加わった。あらゆる衝動で私は口を開く。

「希美、すき」

口から出た言葉は100%の本音だった。友達に対する親しみを超えたなにか。私はそれを何を言うのかわからない。でも、すぐに期待してはいけなかったと自覚させられる。

「うん、私も好きだよ!」

その爽やかな一言に甘い毒のような痛みが溶け込んでいく。噛み合ってるはずなのに、噛み合わない会話。言葉の熱量の違いですれ違う。もしかして気付いて入るのではないかと期待したけれど、希美の態度にはそれは見られなかった。希美は私の髪を整えながら続けた。窓から夕日の光が真っ直ぐに差し込んで、暗い教室を照らした。

「辞めてからさ、みぞれがキラキラしているように見えたんだ。」
「希美が?」

いつもキラキラしている希美が、根が暗い自分をキラキラしてると言うのが意外だった。

「見るたびに自分って何しているんだろう、みぞれは頑張ってるのに、との繰り返し。小さな学校で部活の場所と先輩を避けてる自分がみじめで仕方なくて。居場所がなくて。
キラキラしてるみぞれを見ると、自分と比較されるようで辛かった」

希美に手が私の頬に手がたどり着く。

「みぞれみたいに強ければいいのに」

自嘲気味に笑う希美に耐えられなかった。希美の傷つくところは見たくない本能が苛立たせる。

「希美は」

ん?、夕陽に照らされた大好きな希美の顔が私を見る。

自分の頬の暖かな手に手を添えて、言葉足らずな私だから少ない言葉で伝わるようにひとつひとつ考えて口に出す。

「今でもキラキラしてる。誰も戦わないことを、ちゃんと、戦った。辞めた後も社会人サークルに入って、逃げてない。」

「みぞれ」

希美は驚いた顔をした。私がこういうことを言うことが珍しいからだろう。

「希美は、格好良い。」

希美の目を見てしっかり言う。

「希美は、今でも、ちゃんと、格好良い。」

それを伝えたくて、もう一度言う。希美の目が少し潤んだのに気がついていた。
希美は弱味を見せない。部長の経験があるからか、見せたとしてもすぐに笑顔に戻る。

「ありがと」

希美の声が好きだ。いつも語尾のイントネーションが上がって爽やかな印象を与える。全て、好きだ。

「私、希美が好き」

そう言うと、希美の潤んだ目がそのまま涙が重力に従って、流れた。希美が自分の手で拭く前に手を出して、指で丁寧に拭く。希美の体温は私より少し暖かい。

「変わらず好き」

しっかりというと、希美はほんの少し照れて顔を赤らめて柔らかくはにかんだ。あは、ありがと、嬉しいな。そう言って、希美は涙を隠すように私の肩に頭を乗せて甘えた。初めて希美に甘えられて本気で嬉しい自分が少しもどかしい。
私と違って、昔から爽やかで優しく、屈託のないまっすぐな性格から老若男女好かれ慣れてる希美は、友達からの「好き」という言葉の閾値が高すぎることが思い知らされる。言葉に熱が伝われば良いのに。でも、前より焦りはない。希美と私は今、さよならから1番遠い場所にいるのだ。両腕を暖かい背中に回し、肩に掛かる体温と息づかい、鼓動を感じながらそっと目を伏せた。



音楽室の扉の外の廊下は日の当たらない部分で、2人は隠れやすかった。心配性な優子と夏紀は同級生かつ幼馴染の中の2人が心配で様子を見にきていたのだ。

「この鈍ちん!!」
「これはさすがに引くわ〜。希美、鈍すぎるでしょ」

それぞれ正直な感想を述べて、そっとドアの小さな窓から観察する。夕陽に照らされて寄り添い合う二人は何となく綺麗で、二人の不思議な世界を作り上げていた。実際はねじれの位置のように平行でなく、交わることなく、奇妙にすれ違ってる関係。

「二人とも結構独特な性格してるからねぇ。違う世界観で生きてるようなかんじ」

苦笑いしながら夏紀は頬を掻く。すると、隣にしゃがんでたリボンを揺らしながら優子がすくっと立ち上がる。

「行くわよ、夏紀」
「え、行くって」
「入るのよ、もう門閉まるし」
「…今度は空気読まないんだ?」
「読んでるわよ!あの二人にはさじ加減が必要なの!あの二人をこれ以上こじらせないためには誰か必要よ!」
「ま、そうね」

そう言って、勢いよくガラッと扉を開く。眠りかけた二人が目を醒ます。

「なーにーしーてーるーのー!」
「帰るよー!見回りさんに怒られちゃう!」

元気良く言うと、二人はお互い目を合わせて照れて笑い、

「ごめーん!今すぐ行くー!!」
「……眠かったの」

と、慌てて帰る用意をする。

「ほら、行くよ!みぞれ!」

希美はみぞれに手を差し出す。こくんと頷いて、自然な感じでみぞれは希美の手を握る。ホッとした顔をして希美は頬を少し赤めて満足げに笑った。それを見て、夏紀は優子の耳にこっそりとつぶやく。

「案外希美ってみぞれのこと好きになってるかもね」
「でも、希美がみぞれを好きになったとしても、自覚させるの一苦労しそうね」
「…言えてる」

でも、可能性は0でないかもしれないということは大きな一歩だ。その辺を含めて今後様子を見ていかなければならない。

「行くわよー!」

優子は言うと、はーいと右手を伸ばし凛とした声で希美は返事をする。その隣にぴったりくっついてるみぞれは静かに頷き、夏紀ははいはい、と優子の隣を歩く。
もう夕陽は沈み、辺りは暗くなっていた。4人は他愛もしない話題を話しながら、だらだらと帰る。帰ってきて良かった、とその時希美は自然にそう思い、ふと口に出る。

「優子、夏紀、みぞれ、ありがとね」
「はぁ?なによいきなり?」

突然の言葉に優子と夏紀は不思議そうな顔をし、失礼にもみぞれは心配そうな顔をする。

「いや、たぶん3人いなかったら帰ってこれなかったから」

自分は惨めなやつだなんて何度も思った。まだ自分の復帰に悪口を言っている子もいることは知ってる。でも、惨めな形でも一度は逃げた自分の好きなことを取り戻す決断したことに後悔はなかった。取り返した友達との帰り道のこの充実したは一生大事なものなのだ。前と状況が変わったこと、居辛さは承知してる。でも、今の自分には未来がある。これから努力して見返せばいい。やることはそれだけなのだ。
挫折したとしても少し休んでそこからまた続きを描けばいい。実はそれだけなのだが、周りの環境がそれをかなり難しくさせる。部活を一度辞めるとはそういうことだ。でも、そのチャンスをこの3人がくれた。それは感謝の言葉では言い表せられないことだった。希美は主役になれなくても、3人を支えようと思った。

「今年は最高の1年にするわよ」

優子に言葉に3人は無言で頷く。
今年は私たちの主導しなければならない。今年こそ、今年なら、という思いは4人誰しも持っていて、それは紆余曲折を経てきた分、他の学年より強い。ついにその時が来た。言わずともお互いわかっていた。星がキラキラと私たちを照らし出す。

「あ」

優子は大きく空を見上げた。器用につけられたリボンが揺れる。3人も見上げると、無数の星が夜空に広がっていく。一瞬、星が流れた気がした。

流星!

近くの公園に向かって優子は突発的に走り出した。

「もー、子どもじゃないんだから!」

夏紀は呆れた声を上げながらも優子に付いていく。私達は走り出した。訳もなく走り出した。そうするべきなんだと何も考えず走り続けた。

「みぞれ!行こっ!」

希美は振り返って隣のみぞれの手を握る。驚いたみぞれは希美の方を見ると、そこには笑顔でまっすぐだけを見る彼女らしい彼女が映った。

「うん」

この顔を一生見たい。そう思って、みぞれは強い握り返した。強く、握り返したのだ。

END

2016年10月27日 pixiv掲載

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