鶴頂紅(艦これ/翔加賀/#1)

 違和感を感じた。
といえば実は感じていたかもしれない。けれど、それはとても些細な兆候で、親しい仲でも中々気付きづらいことだった。
 それは初夏の暑い日。


「瑞鶴」


 風鈴が、ひと鳴り。凛とした声が鼓膜を震わせる。産まれた時から聴き馴染んだ声。翔鶴姉の声はとても綺麗だ。

「なぁに、翔鶴姉」

私は武道着に着替えて肩帯をきつく縛りながら答える。その姿を見て翔鶴姉は笑う。最近の翔鶴姉は元気だ。この間まで病気しがちだったか、このところ調子が良いらしい。

「訓練しにいくのね」
「そうだよ、加賀さんったら強引でさ、昨日の晩に弛んでるから早朝道場に来いだってさ!あの無愛想つり目!いつか越えてやるんだから!」
「瑞鶴は本当に加賀さんのことが好きなのね」

その言葉に私は熱と焦りを感じる。それは、半分嘘、半分事実だからだ。しかし、私の捻くれた性格は否定する。

「そんな訳ないでしょ!もう!」

顔が熱くなる。そりゃあ、加賀さんと私ではまだまだ実力差がある。たまに格好良いし、頼りになるは、なる。ライバルというより、越えなくてといけない目標だ。

「というか、五航戦五航戦、って言う癖に翔鶴姉にはあんまり言わないの卑怯じゃない?最近翔鶴姉凄くなってきてるし、やっぱ翔鶴姉に焦って嫉妬して何も言えないんだよ!あいつ!弱虫!」
「・・・そんなことないわ」
「弱気なんだからー!まっ、謙虚なのが翔鶴姉のいいとこだけどね」
「ありがとう、瑞鶴」

照りつける日差しに首筋から一筋の汗が流れる。今日は暑い。熱気が身体を包んでいる。

「瑞鶴、これを持っていきなさい」

綺麗な白い手には二本の水筒。色はどちらも私達の特徴といえる赤色。私と、翔鶴姉のものだ。

「これは?」
「桃のジュースよ、昨日から冷やしたからよく冷えてるわ」
「なんで・・・二本?」
「勿論、加賀さんの分よ」
「ええ!?あんな奴に必要ないよ!絶対五航戦のものなんて受け取りません!と言うに決まってるって!・・・てか、そもそも加賀さん甘ったるいもの嫌いそうじゃん!」

熱くなって言う私とは対称的に翔鶴姉は涼しげな表情で言う、

「そうね、でも、あの方は暑がりだから」

  弓道場はご多聞を漏れず、蒸し暑かった。昨晩私に道場に来いと言ったものの、誘った加賀本人も後悔しているに違いない。と、口角を一瞬上げたが、それは自分にも影響が及ぶ事であり純粋に笑えなかった。
その加賀は凛々しい佇まいで強く弓を引いている。口と性格の悪ささえ無ければ、純粋に尊敬出来る人なんだよな、この人。美人だし。

道場に響く、的を貫く音。

こちらも外すだなんて思わない。幾ら外せと念じても一切外さない。当たり前のように的の中心へ矢が刺さっている。きっと目を瞑ってでも的の中心に当てるだろう。
この人の更に苛立つ原因のひとつは口だけじゃないということだ。
側にいて理解させられる。一航戦はキチガイじみた化け物だ。機能的にはこちらの方が最新だが、練度がまだまだなのだという実感。超えなきゃいけない。自然と手に力が入る。
いつも通り胡座をかきながら観察すると、「姿勢悪いわよ」と加賀さんは視線を向けずに言った。首筋は汗が既に垂れている。翔鶴姉の言う通り、加賀さんの機能的に排熱が苦手らしく、他人より体温が異様に高く、暑さに弱い。涼しい顔をしているが、表情に出にくい人だ、相当無理しているに違いない。その証拠にいつも私を矢のように厳しく鋭い言葉を浴びせる癖に、今日は何となくキレがないのだ。

「加賀さん、やっぱり古いタイプの人は暑さに弱いんですねぇ、今日は休んだらどうですかぁ」
「・・・うるさいわねぇ」

ほら、今日は言い返してこない。暑さで言い返す体力がないのだろう。それに加えて、この人の私達五航戦に対する態度は最近甘くなっている気がするのだ。一度認めたら態度が軟化する人なんだろうか。

「あ、加賀さん、ほら」

休憩する加賀さんに私は水筒を投げる。翔鶴姉の水筒だ。加賀さんは弓を持つ逆の手で受け取る。

「これは?」
「翔鶴姉が加賀さんに、だって。桃のジュースだよ!」
「・・・翔鶴が?」

眉を顰める加賀さんに「毒は入ってない、はず」とニヤリと私は笑う。あ、でも、翔鶴姉は五航戦のことを貶す加賀さんに静かに反抗するところあるからわからないかも。
加賀さんは手の中にある赤い水筒を見つめながらため息をつく。

「・・・毒だったらまだマシね」
「は?それってどういう—-」

私の質問に答える前に加賀さんは水筒の蓋を開けて、一気に飲み干す。綺麗な細い喉に甘たるい液が勢いよく下る。口に入らなかったものは口の端から滴り落ちる。まるで本当に毒を飲んでいるような苦痛を浮かべた表情で加賀さんは飲む。それは、どこか背徳的で、官能的で—–じゃない!

「ちょっ!ちょっと、加賀さん!!一気に飲みすぎ!!!」

普段の行儀よい加賀さんらしくない行動に逆に私が慌てる。喉が渇いていたのだろうか。飲みきった加賀さんはさっきまで苦しそうな姿から一転して爽やかな表情で顔を緩める。

「やりました。」
「やりましたって!加賀さん、もしかして、いや、やっぱり甘いジュースとか苦手なんじゃ・・・」
「・・・いいえ」

渋い顔で微かに目線を逸らして言う加賀さん。

「加賀さんやっぱり苦手なんじゃん!」

手で口を拭きながら、水筒の蓋を閉めて私の方へ渡す。

「美味しかったわ、と翔鶴に伝えといて」

正直に驚いてしまった。本気で五航戦の差し入れいらないと言うと思っていた。感動すら思ってしまった程だ。

「あ、あの、翔鶴姉は別にわざとやったんじゃ、ないと思いますよ!加賀さんのこと、暑がりだから!って心配してたし!」

 さすがに翔鶴姉もそこまで加賀さんのこと嫌いでないだろう。寧ろ、一航戦の方を尊敬の目で見ているはず。だけど、加賀さんは聞き捨てならないことを言い出す。

「・・・わざとよ」
「ちょっと!翔鶴姉を信じてないんですか!?」
「信じてるわ」
「だったら!」

ムキになる私に加賀さんは珍しく焦りを薄っすらと表面にみせた。

「ごめんなさいね、誤解させたわね、瑞鶴。貴方を不快にさせたいわけではないの。私は別にジュースが嫌いな訳ではないわ」

 これ以上のことは言わせないという態度で加賀さんは優しい笑顔で私の頭を撫でる。ズルい。こうやったら私は何も言えなくなることを知っての行動だ。

「練習を続けましょう」

 何故だろうか、その言い回しと優しさに翔鶴姉の姿が重なった。それが何故か不安に覚えた。


「美味しかったって。加賀さんが」

 部屋に帰ると、畳で正座しながら本を読んでいた翔鶴姉に声を掛ける。朝の加賀さんとの会話を思い出して翔鶴姉を見て話せない。

——わざとよ

 苦手を我慢して後輩の為に飲みきった癖にこう言ってしまうのは加賀さんの不器用さなんだろうか。だったら大分人として不器用すぎる。
二本の水筒を流し台に置いて洗い始めると、翔鶴姉が、疲れてるでしょ?私がやるわ、と気を遣ってくれる。

「いいよ、翔鶴姉、ついでだからやるよ」

 そう言っても翔鶴姉は台所まで来てしまう。そんな、本当に妹に心配性な、出来た姉だ。
結局私が洗い、翔鶴姉は布で拭くことになった。翔鶴姉の水筒を手に取り、蓋を開ける。中身はやはり、空。それを見た翔鶴姉は言う。

「あら。加賀さん、飲んでくれたんですね」
「ああ、グチグチ言ってたけどねー」
「そう」

 自分の水筒を両手に取った翔鶴姉は微笑みを浮かべた。その横顔は何となくいつもより色っぽくて綺麗だと思った。私は何故か胸が絞られる感覚がした。

その2週間後のことだった。

「あら、瑞鶴、今日は遅かったね」
「夜戦後呑みに連れされたー」
「あらあら、大変ね。布団敷いてるわよ」
「ありがとう」

あれ。姉を通り過ぎた瞬間、微かな違和感を感じた。

「あら、翔鶴姉、香水買った?」
「え?」

匂い変わった気がする。どこかで匂ったことのある、身近な匂い。胸が強くバウンドする。脳裏に浮かぶのは青と白の似合う凛とした人。それ以上、聞くな。聞いたら、終わる。絶対聞くな。本能が警告する。

「買ってないわよ?」
「ふぅん」

気づかないふりを装い、私は部屋の辺りを見渡す。毎日見慣れた光景。そこにどこか違和感を感じる。部屋の家具の配置、整頓のされ方、部屋の匂い。どれも一緒なはずなのだ。
もう一度注意深く見る。

あ。

翔鶴姉の枕元。その下には青色の長細い絹が僅かに出ていた。少し乱れた絹。私はゆっくりと手を伸ばす。声が乾いて、震える。

「・・・翔鶴姉、これ」

青の襷。
これは誰のものか鎮守府にいる艦娘なら誰でもわかる。聞くな。聞きたい。聞くな。聞きたい。

「あぁ、加賀さん、忘れていったのね」
 
嘘を吐くな。こんな場所で忘れるなんて通常あり得ないことだ。いつまでも私を子供と思うな。布団には誰を押さえつけた少し湿り気のある跡。これは明らかに奪ったものだ。
湧き上がる様々な感情の波。声が震える。

「ねぇ、翔鶴姉」
「なに?」
「加賀さんのこと好きなの?」

翔鶴姉の動きがピタリと止まる。私達の視線が交錯して、翔鶴姉の口が一瞬に一文字となったが、すぐに口角が上がった。

「好きなんてものじゃないわ」

 私は隣をちらりと身近な存在を見る。一瞬にして電気が脊骨に沿って流れていく。オンナ。そんな言葉が頭に過ぎる。今までの姉から見たことのないもの。捻くれた私は真実を得るために意地悪な質問をする。わざわざ加賀さんの苦手な甘い桃のジュースを渡し、同じ香水にし、襷を奪いとる。その行動は理解出来なかった。

「す、好きじゃなかったら、なに?実は翔鶴姉、嫌いでしょ、加賀さんのこと」

翔鶴姉は目を伏せて穏やかに笑う。まるで仮面だ。私の背筋は彼女の威圧感で凍りついている。ちがうわ。いつも控えめな彼女の反抗。

「愛してるの」

加賀さんはね、素直に愛情を伝えるより、苦しめたり奪ったりした方が効果的なの。赤城さんはよくそうして加賀さんを手に入れたのよ。加賀さんが私を見てくれるにはそうするしかないのよ。こうすれば優しい加賀さんはどんなに疚しい私でも見てくれるの。
ああ、やっぱり聞かなきゃ、良かった。そこには見たことのない翔鶴姉が笑っていた。その美醜を両方備えた女らしさに私は憤怒、嫉

妬、喪失感で拳が震えた。私は気づいたのだ、この姉の恋慕と嫉妬の深さはたった数ヶ月や、数年の年月ではないことに。業の深さを私はこの時初めて知ったのだ。
風鈴が、鳴る。なにかが壊れる音のように聞こえた。

2017年3月10日 pixiv 掲載

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