天文部の部室にて(バンドリ/ひなちさ)


「ごめんね、羽沢さんお願いね」


頼まれごとは断れない主義です。
だけど、頼ってもらえるのは少し嬉しいのです。

 生徒会の仕事も徐々に慣れてきて、段々手伝える事が増えてくると自分の成長がわかって嬉しくなる。
だけど、この頼み事は特殊だった。

『天文部の部費の催促』

羽丘学園の天文部は一人しかいない。『あの』2年の氷川日菜先輩だ。『あの』がつくのは、かなり特殊な人だから。
常に学園一位を取り続けている天才。それでいて芸能事務所に所属する現役アイドルになるぐらい容姿端麗でギターの才能も卓越している。
天に二物も三物も与え続けられたような、神様に愛された存在としか言いようないのかもしれない。
ただ、その反動か性格もかなり特殊だ。
他人の感情に鈍く、一言で他人の急所を突いてしまう。天才ゆえに、天才以外の気持ちがあまり理解出来ないのだろう。双子の紗夜さんの節々に聞く日菜先輩はあの優秀な紗夜さんさえも圧倒されるらしい。
何故か、私は生徒会の中で天文部、つまり日菜先輩担当になっている。
天才だけど、かなりズボラな人だから期限切れの提出物が多く、毎度天文部へ訪れる事が多い。

(良い人なんだけどなぁ)

皆が牽制する天文部の部屋をノックする。声が聞こえた。

「あ、つぐちゃん」
「日菜先輩」

扉を開けると、古い本と珈琲とアロマの匂いがブレンドされた薫りが鼻孔をくすぐった。誰が読むんだろうというぐらい分厚い本を開き、日菜さんはひとり大きなソファーに座っている。普通にしていても輝いて見えるのはアイドルオーラなんだろうか。彼女は隣を軽く叩きながら言う。

「おいで」
「あ、はい」

丁度良かった、そう呟いたのが聴こえて、何が丁度良いのか気になって、日菜さんの様子を伺う。オーラがあるその人は流し台に向かうと、星柄のティーカップを掴んで机に置くと、ポットから珈琲を注ぐ。迷いない行動が様になっているから、器用な人、という印象が伝わる。
こちらに戻り、ソファー前のテーブルに置いて、金銭的な価値があるだろうアイドルスマイルで微笑む。

「はい、どうぞ」

わ、キラキラしてる。これが、アイドル!

「ありがとうございます」

彼女のペースに飲み込まれながら、カップを両手に一口。味わうと同時に固まる。え、この匂い。そして、この味。驚いて顔を上げると、日菜先輩は予想していたように悪戯猫のような笑みで返された。

「これ、うちの珈琲と全く一緒の味!」
「さっすが、つぐちゃん〜、わかるね〜〜」

え。え。どういうこと。
うちにバイトしてるのはイヴちゃんであって、日菜先輩ではない。日菜先輩に珈琲の淹れ方を教えている訳でもない。

「どうして?」
「一回、イヴちゃんの働きっぷりを見るためにキッチン覗いたじゃん?ちょうどつぐちゃんのお母さんが珈琲淹れてたから、見て真似しちゃった。豆も買ったしね」
「ええっ」

話には聞いていたけど目の前で披露されると流石にびっくりしてしまう。日菜先輩の天才と言われる能力。
「すごいですね」と言うけれど、日菜先輩は寧ろ出来ない方が不思議なんだと言う。そういう、理解できないことはできないとはっきり言えるから、天才が天才たる理由で、人を遠ざけてしまう理由なんだろう。それは、何となくうらやましいと思う。

「でも、なんだか新鮮です」
「ん?」
「いつももてなしてる側なので、こっち側ってあまりないんですよね」
「そっか、どう?氷川珈琲店は」
「ふふ、落ち着きます。こんな風に皆過ごしてるんだな、て。」
「羽沢珈琲店の居心地の良さにはまだまだだけどね。つぐちゃん、今日なんかの用事だった?」

しまった。居心地良すぎて本命を忘れてしまっていた。

「はい!天文部の部費がまだなので回収しにきました!」
「ああ、忘れてたや」

やっぱり。
催促し日菜先輩からお金を頂いて、本日の任務は完了した。

「つぐちゃん、仕事これで終わり?」
「はい、これで全部回収し終わりました」
「ふーん、そっか」

心がそわそわと浮つくけれど、きっと観察力が人一倍にある日菜先輩にはバレてるかもしれない。

「じゃあ、しばらくゆっくりしなよ」

優しい顔をされながら髪を撫でられて、少し顔が熱くなる。天文部を敢えて最後にしている理由はただひとつ。

日菜先輩と長くいれるから。

 密かにこの先輩と一緒にいれるのは特別感があって好きだ。
絶対的で、失敗が少なくて、人から理解されづらい特殊な人。そういう人に私はどこか安心感を求めているのかもしれない。
日菜先輩は優しい。他人の気持ちが理解できない人だとよく言われてるけどそんなことないと思う。よく人を見てるし、気づくし、あんまり関係のない後輩の私に凄く優しい。
もしかしたら、優しい理由が別にあるのかもしれないけれど。

「つぐちゃん、クマがあって、ずずーんって感じだね。試験勉強大変なんだ」
「バイトも忙しかったので時間も足りなくて」
「つぐってたんだ」
「はい」
「よしよし、えらいねー」
「…はい」
「ちょっと寝なよ。ここに来るのつぐちゃんしかいないし」

腕を引っ張られて体勢崩すと、頭が丁度日菜先輩の細い太腿に乗った。皆が試験勉強で必死の中、この先輩はいつも余裕だ。だからか、この部屋はゆっくり時間が流れている気がする。その緊張感のなさと安心感が今は逆に安心する。紗夜さん大好きで甘え上手だけど、もしかしたらこの人は甘えさせるのも上手なのかな。そんな思考は眠気に吸い込まれる。深い微睡みの中、額に柔らかいものが触れる。私は何だかしあわせな夢を見た気がした。

30分後、日菜先輩は起こしてくれた。生徒会の報告も丁度いい時間。
ブレザーを整えて、部室を出る前に日菜先輩が髪を整えてくれる。

「つぐちゃんはおねーちゃんと似てるからさ。頑張るのはいいけど、身体には気をつけてね」

ありがとうございます、と私は笑顔で答える。紗夜さんと似てると言われた嬉しさと、日菜先輩をそんな顔にさせるのは紗夜さんなんだと気づいた寂しさでなんだ複雑だったけど、どうするべきかの答えは見つからなかった。ただそれも日菜先輩の笑顔とポンッと頭を優しく叩かれたことで一蹴される。

「またおいで」

天文部の扉を閉める。珈琲と古本とアロマの香りが魔法のように消える。
誰も知らないお気に入りの場所。
私はこの良い薫りとささやかな癒しを求めて、またこの扉を開けるんだろうなぁ、と頬が緩んだ。

END


(とっておきの場所)

2018年5月28日pixiv掲載

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