頑張り過ぎる女。(創作百合/女医百合/#1)


「女医はモテない」というのはこの世界では当てはまらない。今や男女の境界や役割も曖昧となり、生き方の「多様化」が尊重されるようになった時代。LGBT問題も円滑に解決に向かい、同性婚も成立し、シングルマザーに対しても風当たりが良くなった。
そんな中、世は正に女医時代。
私達は今日も仕事、プライベート共々も邁進する。

✴︎

「あれ、天満センセ、今日も合コンっすか?」

仕事が終わり、早々ロッカーで着替え終わり更衣室を出るとメラコリックで生意気な研修医が暇そうに聞いてくる。またコイツは野暮なことを、と心の中で天満あやな(てんま あやな 30才 形成外科医)は毒づく。白衣を脱いでメイクを直しいつもより力を入れた私服に着替えた瞬間これだ。天満は身長170cmの長身モデル体型で、前髪を切り揃え、手入れの行き届いたロングストレートの茶髪を伸ばし、顔も小さく顔立ちも端正なハーフ顔美人だ。芸能人でいうと中条あやみだろうか。彼女は院内ナンバーワンの美人医師だ。少々直球過ぎる性格に難あるのが玉に瑕だ。

「悪い?」
「いえいえ、今日も仕事が早くて、そして麗しゅうございます〜」
「当たり前よ。アンタはまだ仕事残ってんの?ないなら早く帰りなさいよ。仕事遅いんじゃないの?」
「いやぁ、それが今から救急で下血来るんすよ。桃ちゃんセンセの緊急下部内視鏡っすかね」

桃ちゃんセンセ。形成外科医はその名前を聞いて無意識に固まる。そのリアクションにあざとい女研修医はニヤリと笑う。「下血」とは体の下、つまり肛門から血が出ること。どこか身体の中の消化管に出血が起こってるということだ。その場合、緊急で内視鏡という細長いカメラを使って止血しないといけない。診療科で言うと、まさに消化器内科の出番なのだ。

「桃が?」
「そっす。いやぁ、桃ちゃんセンセの内視鏡格好いいっすよね〜。普段天然風で可愛いのに、仕事オンするとキリッとする姿!ギャップ萌えっす!」
「うるさい変態。そもそもアンタね、ちゃんと桃谷先生と言いなさいよ」
「おー怖。あ、天満センセも来ます?」
「行くわけないでしょ、便まみれになるなんて嫌よ。お疲れ様、えー研修医」
「野田っすよ、そろそろ覚えてくださいよ」

桃谷結菜(ももたに ゆな 33才 消化器内科医)は天満あやなの幼馴染で、3つ上の33才の消化器内科医だ。見かけはガッキーに似た優しい顔立ちで背も166cm位ある。その優しい雰囲気に一転して仕事は凛々しく格好良いため老若男女、医療スタッフ、患者にも人気だ。幼馴染の天満から見ると結構抜けてる方だと思うが、真摯で一生懸命に仕事する姿は心打たれるものがある。退勤カードを押して出口に向かおうとすると、話題となった人物がタイミング良くコンビニからが出てくる。天満を見つけると、コンビニ袋を片手に笑顔で手を振り、相変わらず穏やかな笑顔で聞いてくる。まるでどこぞのゴールデンレトリーバーのよう。しかし当直明けなのか、その顔はすっぴんで薄く、その涼しげな目の下にうっすらとクマがある。

「あーちゃん、合コン?」
「そう」
「あれ。前の人、もしかしてもう別れた?」
「こないだね。つまんないから振った」
「早いなぁ。」
「桃、これから緊急でしょ」
「うん、その前にご飯食べようと思って。後、終わった後のご褒美にシュークリーム!」
「またぁ?太るわよ」
「運動してるからいーの。あーちゃんは今日も可愛すぎるから、今日の合コンもバッチリだね!頑張って!」

背伸びして頭をポンっと撫でられて、医局に颯爽と向かう桃谷を見届ける(診療科故かいつも歩くスピードが速い)。残された天満あやなはと言うと。

「もう」

触れられた髪が熱い。細胞レベルで嬉しい感情が全身を駆けて止まらない。

「そゆとこだぞ、桃谷結菜!」

天満は触れられた髪を触れながら天然の幼馴染に毒付くしかなかった。


天満あやなと桃谷結菜は小学校からの幼馴染で、家が隣同士で親共々も仲が良い。桃谷は3つ上でいつもその可愛らしい容貌から密かに好意を持つ男の子にからかわれて泣くような子供だった。そんな情け無い年上に痺れを切らして、目付きが悪い天満が睨みを効かせてからかう男子を退治していた記憶がある。その当時桃谷は少しばかり要領悪く、勉強も中の下だった。

「あーちゃんはすごいね!流石お医者さん家系だね。賢い!しかも綺麗なんて完璧じゃん!」

ランドセルを背負いながら一緒に帰るのは日常だった。途中の公園のブランコに乗りながら通知表の見せ合いをして、いつもの様に桃谷は無垢な笑顔で褒める。隣で当たり前よ、と天満はドヤ顔で答える。寧ろこれくらい出来なきゃ、親戚達の無駄なマウンティングに巻き込まれるのよ。

「あーちゃんは私立の中学行くの?」
「うん、中高一貫の進学校。ママにそろそろ塾行く?て聞かれた」
「凄い!塾とか格好良い!そっかぁ、離れ離れだね。さみしいなぁ」
「…その前に桃が中学行くじゃん」
「あ!そういや、そうだね」
「あー、心配。また桃がからかわれないか。桃ボーっとしてるから」
「あはは、もう大丈夫だよ。男子達も大人になってきたし」
「ふーん、だったら。….私はもういらない?」

声色で天満が拗ねたことに気づいたらしい。すぐに桃谷はブランコに降りての前にしゃがみ、髪を撫ぜて笑顔を作る。

「そんなことないよ?ずっと一緒!」

その笑顔に幼い天満あやなは胸の音が早くなるのを感じた。生まれて初めて、恋に落ちた感覚。初恋の瞬間、というのはきっとこの時だったのじゃないか、と大人になった後から気づいたが、その当時は何の違和感なくその気持ちをそのままにしていた。

しかし、桃谷が中学になるとやはりカリキュラムも一変し部活も始まり、忙しく、中々時間が合わず会えなくなった。たまにお互いの家に泊まったりしていたが、それも桃谷が中3の時に不意に終了した。桃谷のお母さんが末期癌で亡くなったから。スキルス胃癌。若すぎる死だった。

「何、今更思い出してんだか。」

天満は携帯で飲み屋の場所を確認しながら呟く。合コンに集中しなきゃ。天満あやなは一般的な女として幸せを掴みたかった。それには実現不可能な相手に固執するより、合コンで相手を探さないといけなかったのだ。

✴︎


桃谷結菜は毎日忙しい。消化器内科という診療科は消化管出血、腸閉塞等緊急的な病気が多いからだ。しかも医者になってからある程度の年数が経ち、出来ることが増え、仕事と同時に下の医師の指導もしないといけない。仕事は増えていく一方だった。

「桃谷ぃ!!起きろー!!」

いつのまにかMR(薬剤の宣伝する人)の提示した薬のビデオ講義が終わったらしい。内科外科合同で行うため、目の前には宝塚顔負けの姿勢の良い消化器外科医師が佇んでいる。大阪 比呂子(おおさか ひろこ 年齢不詳 消化器外科医)、年齢不詳の消化器外科医。院内でほぼ年齢を知る者はいないという噂だ。

「あっ、大阪先生」
「よーやく、起きたん。自分、ビデオ中も部屋明るくなってからもビクともせんかったで。どんだけ忙しい生活過ごしとんねん。」
「最近、緊急多くて」
「せやなぁ、最近見とったら桃谷が可愛そうにみえるわ。あーまた白い顔にクマ作って」

桃谷の目の下にぐぐぐ、と力を入れてく大阪。

「痛い!痛いですって!あの、これはちょっとゲームし過ぎましてぇっ」
「….はぁ、アンタなぁ。はよ寝なさいよ。やっぱ内視鏡得意な人はゲーム好きなんやろか。論文出そかな」
「そんな治療に結びつかないことやめてください」
「はいはい。真面目か。姫が心配するから不摂生な生活やめなあかんよ?」
「姫?」
「天満やって」
「あーちゃ…天満先生が何で出るんですか?」
「ったく、この天然は。あの子がさっさと美容整形に行ってガッポリ稼ごうとせず、こんなしょーもない病院におるんはアンタのせいやと思うけど。」
「しょーもないって。天満先生そもそも今までも沢山恋人いたじゃないですか」
「そんなん暇つぶしか、アンタに気ぃ引いてもらうために決まってるやん」
「そんな作戦失敗すぎません?そんな馬鹿じゃないですよ、天満先生は」
「あー。桃谷は案外頭固いんやな」
「ないですよ。私と天満先生は幼馴染です。今までも今からも、ずっと」

桃谷は一度伸びをして、困った笑顔を見せる。タイミングよくPHSが鳴り、病棟看護師に呼ばれたのだろう、すみません、と一言添えて早足でカンファ室を去る。残された大阪は「ったく、最近の若者は」とぼやく。

「….アイツはそんなアホやで、桃谷」

✴︎

健康診断のために内視鏡を施行することがある。内視鏡は直接消化管の中をカメラで覗くため有効な癌や胃潰瘍等のチェックの手段となる。

「よろしくおねがいます」

橘 翔子、44歳、女性。既往歴のない40代女性の食欲の低下で内視鏡検査のため、この病院に紹介されている。カルテの記載を見て、患者情報を把握してカメラを用意する。

「あの、初めてで。怖いのですが麻酔とか使えますか?」
「はい、じゃあ、眠り薬を使いますね」

笑顔で説明すると、女性は安心したようだ。点滴で麻酔をかけて眠りを確認して口からカメラを入れる。片手でコントローラーを持ちカメラの向きを操作し、もうひとつで細い管を奥まで入れていく。口から、舌の奥、喉、声帯を確認し、食道の方へ進めていく。食道の後は胃、その奥の十二指腸まで上部に内視鏡検査は観察出来る。

「広がり悪いな」

長年検査した勘か、進めていくごとに悪い予感がしていく。予感は皮肉にも当たるもの。空気を送っても膨らみにくい。胃までカメラを進めると、粘膜が棍棒状に肥大している。スキルス胃癌の所見だ。数カ所顕微鏡での診断のために、極僅かの組織を取り、観察は終了とした。病理診断には約一週間程度かかるため、後日結果説明となる。

さっきの内視鏡所見を画像を見ながら電子カルテに記録していく。ぼんやりしていると、大阪が覗いてくる。

「おわ、スキルスかぁ。ってうちより年下やん!うち来る感じ?」

年下なのか、と密かに思いながら初見をキーボードで打つ。

「いや、もしかしたら転移してるかもしれませんね。CT撮ってもらいますけど」
「んん。何落ち込んどん?何回も見とるやろ?」
「そうですけど。やっぱり小さい子供さんがいるお母さんに当たると、どうしても自分の母と重ねてしまって」

恐らく最低でも40過ぎのベテラン女医はカカカ、と笑う。

「ホンマ、アンタは感情的やなぁ。研修医の頃ボロ泣きやったん思い出すわ」
「人間ですから」
「せやなぁ。うちらは、神じゃないねん。人の命をコントロールでけん。うちらの出来ることは人間が生きようとするのに手を貸すだけや。」
「わかってますよ、頭では」
「若い人の死は確かにツライけどな。病気はな仕方ないんや、運命ってやつや。」

桃谷の薄い肩を揺さぶって、外科医は出て行く。確かに人の生死は日常的に触れるし慣れたと思っていた。しかし、自分の過去を踏まえると、どうも出来ないのにどうにかしてあげたいというエゴがどうしても生まれてしまうことに桃谷は気づく。それは桃谷の一部で失ってはいけないものの気がしたのだ。

✴︎

天満あやなにとって、合コンは相手探しもひとつあるが、暇つぶしでもある。ある程度の外見と年収と性格を満たして、彼女を楽しませてくれたらそれでいい。形成外科として割と忙しい日々の憂さ晴らしな面も少しあった。今日はアナウンサーとの合コンだ。

「天満さんはクリスマス予定あるんですか?」
「あったら来ないですよ」
「わぁ、嬉しい!こんなに綺麗な人久々ですから!女優さんみたいです!本当に相手いないんですか?」
「いないです、中々相手が見つからなくて…」

クリスマスといえば、桃の誕生日だな、とふと思う。レストラン予約しなきゃ、プレゼント何しようかな、とぼんやりしていると、隣の女性がもたれかかってくる。同性同士だとスキンシップが激しくなる。

「あ、ずるーい!天満さん凄い美人だから私も仲良くなりたいです!」
「天満さん、形成外科なんですよね!美容整形もやるんですか?」

美人女医で形成外科だとレッテルからして、話題豊富だ。それだけで寄ってくるのも中にはいる。

「いずれは美容整形とは思うんですが、今は顔の骨折とか火傷の処置してますね」
「すごーい!格好良い!」

賑やかな会話の中、天満あやなは隣の女性の手を握る。今夜はきっとこの子なんだろうな、と思いながら握り返したのを感じ、笑みを深める。頭にふと桃谷のことが浮かんだが、慣れたかのように会話を続けた。

✴︎

「疲れたー」

職場徒歩5分に桃谷結菜のアパートがある。1LDKの10畳ある一人暮らしには少し広い部屋だ。しかし家に帰ってすることといえば、ゲームするか、寝るぐらいだ。コートをハンガーに引っかけ、買ったビールをぷしゅっ、と爽やかな音を立てて開ける。食欲なく夕食食べるのもはや面倒だな、と思った矢先、インターフォンが鳴る。ため息をつく。自他共に認めるお人好しさはもう失くせないだろう。カメラに映るのは、満面の笑顔で手を振っている。元カノであり、同期の産婦人科医桜ノ宮悠里(さくらのみや ゆうり 32才 産婦人科医)だ。毛先をパーマを当てたロングの茶髪で唇が分厚いのが特徴で、全体的に細いが胸は大きい。顔立ちは石原さとみに似てると桃谷は思ったことがある。
ファッション好きで常に小綺麗な格好は崩さない。

「悠里ちゃん、どしたの」
「結菜!今日遅くなってさ、明日も早いから近い結菜のところに泊まろうと思って!どうせ、結菜ご飯食べてないでしょ?買ったから食べよ!」
「はいはい」

部屋に入ると慣れたように桜ノ宮が食器を探すのを見てまた自分の押しの弱さにため息をつく。お惣菜をお皿に盛り付け、お酒を片手に摘んでいく。

「結菜、最近どうなの?」
「どうって、いつも通り忙しくて毎日クタクタ。そっちも忙しいでしょ」
「まぁね。でも自分で選んだ道だからね、しんどいけど楽しいよ!」
「それはあるかもね」

桜ノ宮とは同い年もあり、学生時代も共に過ごしたため、価値観や考え方が大体同じだ。だから、一緒にいて気を使わないし、色々楽だった。桃谷も桜ノ宮なら結婚しようかな、と思った時期があった。ただ、悪いのは恋愛になると桃谷が桜ノ宮にのめり込み過ぎたことだ。それが理由で数年前に桜ノ宮から別れを告げられている。今では彼女の左手薬指に光る綺麗な指輪に、桃谷は漸く無感情でいれるようになった。いや、無感情より只疲れてるのかもしれない。優秀、前向きで仕事に充実感を感じて常に輝いてる桜ノ宮は今日々仕事にすり減っている桃谷には眩し過ぎる。こういう「友達」でいてくれる関係も終わりにしたいと正直思ったりする。

「お風呂入るけど一緒に入る?」
「冗談。やめてよ」
「ふふ、結菜は可愛いなぁ」

そういって浴室に吸い込まれる桜ノ宮を見送って、桃谷は寝室のベッドで寝ることにした。桜ノ宮の入浴時間は長いし、そもそもアルコール入って自分が眠くなってきた。

「結菜、寝てるの?」

もーうるさいなぁ、寝てるよ。心地よい夢心地から無理やり揺さぶらせる不快感が桃谷を軽く苛立たせる。

「ゆーな」

もうほっといてよ。私は大丈夫だから。優しく髪を撫でられ、頬にキスされる。そのまま後ろから抱きつかれて、添い寝される形になった。

「結菜、今日も頑張ったね、仕事」

バカで単純。泣きそうだ。自分を選ばない癖に桃谷に見てほしいという、我儘な人。
そんなアグレッシブで仕事にストイックで、完璧人間で、頭が良くて、優しい癖にズルくて我儘な所が桃谷は好きだった。今でも桃谷が挫けそうになった時を察して甘えさせ救われてしまう。わるいおんな、桃谷は眠りにつく前に思った。

✴︎

「橘さん、検査の結果ですが、病理を含め、胃癌、と診断されます。中でもスキルス胃癌という種類です。症状は乏しいですが、肝臓に数カ所転移している。」

息を飲む音が遠くで聞こえる。家族が不安の表情で患者の肩を触る。何度も繰り返した告知だ。衝撃を受けている家族や患者にわかりやすく、ゆっくりと説明しないといけない。

「しかし、まだ治療の猶予があります。」

夫はそれは、どんな治療ですか?、と真剣な顔で問う。その目は潤んでいる。桃谷は感情に引きずられず、冷静に説明する。

「治療として、化学療法が挙げられます。点滴で抗がん剤を入れていく方法です。強い薬なので勿論副作用がある。具体的には吐き気、便秘、髪が抜けた等症状があります。また感染も起こりやすくなる時期もあり適宜採血して評価しないといけません」

説明を一通り話した後、涙を流しながら若い患者は聞く、

「私の余命はどれくらいですか?」
「現時点ではわからないです。癌細胞の進行具合、化学療法をするならばどれぐらい効くかによります。」
「そう、ですか」
「治療は始めるなら早めが良いと思います。いかがしますか」
「先生。私には希子が、子供がいます。私は闘いたい。闘ってるところを見せたい。治療をお願いします」

部屋から出て、ご家族が嘆き悲しむ中、心の中で息をつく。ただ仕事はそれだけではない。また少し病棟の仕事終えたら内視鏡検査に戻らないといけない。またPHSがけたたましく鳴る。

「タフな仕事!」

だけど、忙しいというのは気持ちの切り替えには有効なのだ。

✴︎

この患者の癌の進行が早かった。化学療法始めた後も癌細胞が次々と身体を蝕んでいく。スキルス胃癌は抗がん剤の効きが悪いのが特徴だ。

「ぉええ!!!おえぇえ!!!」

抗がん剤を始めて数日すると、下痢や嘔吐、倦怠感の症状が出てくる。制吐剤を入れても嘔気が止まらず合う薬を探して行く。味覚が変わり食欲も湧かなくなり、食べれない状態になる。桃谷は同様症状の母を中学3年の時に見たが、橘翔子の子、希子は小学生4年生であり、酷なことだど桃谷は思った。 でも、その闘う姿を橘翔子は見せたいと言った。

「先生」

しかしその娘は言う。

「やめてあげてよ、苦しそうだよママ。」

✴︎

桃谷が医局に与えられた机で寝ていると、幼馴染の形成外科が訪れる。桃谷先生、と呼ぶと、すぐ目を覚ます。職業病かPHSの音や名前で直ぐに起きる。

「ごめん、桃、ご飯食べてる?」
「うん」
「嘘。昨日遅くまで残っててたでしょ。今日家行くから」
「大丈夫だよ」
「あの患者に入れ込みすぎ。昔から変わらなさ過ぎ。アンタみたいな熱心で患者入れ込みすぎる医者から自殺するのよ」

その天満の言葉は疲れが積もった桃谷に効果抜群だったようだ。

「自殺なんかしないよ!形成外科のあーちゃんにはわかんないよ!この気持ち!!」
「ええ、わからないわ。精神的に弱いくせに人の生死に関わる診療科を選んだ子の気持ちなんて」
「っ….!!サイテーだよ!そんなこと言う子とは思わなかった!!」

桃谷が手を上げようとするが。

「失礼しまーす」

と、間延びした声が入ってくる。2人勢い良く振り向くと、研修医野田が片手を上げている。誰かいると思ってなくて顔を真っ赤にして天満は言う。

「ア、アンタ何してんのよ?」
「天満センセ、5歳の女の子が転けて頭の傷あるんですけど、縫ってくれません」
「アンタが縫いなさいよ」
「女児のお顔は天満センセがいいかな、と思いまして。後はこの場を納めたいのが本音っす」
「女児って言い方。変わんないわよ。ま、いいわ、行く」

ごめん、と桃谷が反射的に呟く。野田は「いや、桃谷センセは謝ることじゃないと思うっす」と返したが天満は反応しなかった。部屋を出た後、野田は天満に言う。

「側から見てもサイテーっすね、天満センセ」
「知ってるわよ」
「あんなこと言っちゃうのは私でもダメだと思いますよ」
「アンタ、人を凄く好きになったことある?」
「ないっすねぇ」
「これ以上傷付くところを見たくないのよ」

救急外来に入ると、額に4cmの傷の子供が泣きながら座ってる。天満は笑顔を作る。

「こんばんは、医師の天満です。よろしくね。お顔の傷どうしたの?」
「壁にぶつかって」
「そっか、ぶつかっちゃったか〜、今から縫っていくね、少し痛いかもしれないけど、我慢してね」
「うん」

皮下に注射をして局所麻酔をする。傷口が開いた部分を針のついた糸で縫っいく。皮膚と皮膚が引きつれなく、均等になるように縫う。顔だと見える部分のため目立ってしまうため、美容の面でも技術が必要だ。

「見てなさいよ。外科は見て学ぶこと割と多いからね」

そう天満の一言あったものの、結果的に野田が吸収出来たものは少なかった。天満の糸結びの速度が早過ぎたのだ。

「(早っ!しかも丁寧で痕が滅茶滅茶綺麗!)」
「はい、終了。」
「せんせーありがと!」
「気をつけなきゃダメよ?女の子なんだから」

しゃがみ頭を撫でて、笑顔で微笑む。天満の美貌に当てられたのか、真っ赤になる子。きっとしばらく天満ファンになるだろう。

「天満先生、すごいです!」
「当たり前でしょ。ったく、女は顔が命なのに、あの壁。」

ホントは優しい人なんだろうな、と野田は再確認する。
「アンタも気をつけなさいよ、顔傷いったら私が縫うわ。ついでに鼻も高くしてあげる」「嫌っす。高額請求されそうです」
「冗談よ。皮膚の傷なら大したことないわよ。くっつくもの」

天満は縫合セットを片付けながら肩をすくめる。野田は思い出したように「あの、桃谷センセのことですけど」と口を開く。ああ、何、と暗い顔をする上級医。
「私が言うのもなんすけど、凄く好きなら支えてあげるべきなんじゃないすか?」
「は?支える?どうやって?」
「応援するとか?」
「応援?」
「側にいるだけでいいんじゃないすか」

適当な研修医の解答に天満は頭を抱えるしかなかった。

✴︎

「わ、本当に来た」

インターホンが鳴り、言い合ったとはいえ、カメラに映ったいつも見ないひどく落ち込んだ幼馴染をお人好しの桃谷結菜が放っておける訳がない。ドアを開くと開口1番、謝罪の言葉だ。とりあえず、部屋に上げてお茶を出してテーブルに座る。

「ごめん、私、言い過ぎた」
「知ってる。あーちゃんは私を想って言ってくれたんだよね。私は弱いから」
「ううん、逆。桃は格好良い。昔の泣き虫だった頃と違う。泣いた姿見せないし、勉強も凄いしてる。桃は、強い。人想いで私なんかより強い。」
「そんなこと、ないよ」
「うん。強い桃だけど、人間だから弱くなること知ってる。だからね、私考えたの。」
「うん」

桃谷は人の話をよく聞く。天満の言葉だって最後まで聞こうとする。こういうところは天満は好きだった。大好きだった。

「側にいる。側にいて、桃を支えてあげる。でも、私も弱くなった時支えてほしいの」
「うん」

唇が震えてしまう。こんなに大人になったのに情けない。こんなはずなかった。桃谷のくせに。その真剣な目に、自分だけ見てほしいと何度も思ってしまう。

「桃が好きなの」
「….え」

天満自身でも思いもよらなかった告白。話の流れで感情が高ぶって、口から漏れてしまった。桃谷は言葉を理解するのに時間を置いた後、困った顔で口が開く。天満は色んな意味でずっとその顔を見ていたから、次に桃谷が言うことが予想できた。そんな風に天満を見たことがなかった、考える時間が欲しい、とかそんな回答だろう。しかし、天満あやなは恋愛においても負けを許せない。早口で捲したてる。

「知ってる。桃が私のこと、そんな風に思ってないこと知ってる。だけどね、私、恋愛で失敗したことないの。私が告白した以上、好きにさせてあげる。私は桃がずっと好き。桃は私に落とされるの!!」

天満は泣いた。涙が信じられないくらい熱くて胸が張り裂けそうな程痛過ぎて、呆然とする桃谷の手を引っ張り、身体ごと抱きつく。最悪だ、と天満は思う。これじゃあ、史上最高の面倒くさい惨めな女の典型例だ。

「だから、ずっと、ずっと、好きでいさせて?」
「うん、わかった」

桃谷は水面下でなにか揺れ動く感覚を覚えた。それが恋なのか、同情なのか、はたまた別の感情か。その中でも桃谷が出来るのは可愛い幼馴染を抱きとめて、背中を摩ることだった。

✳︎

「ねぇ、先生。ママは死ぬの?」

末期癌患者の娘、橘 希子ちゃんは問う。デジャヴ。桃谷は数十年前自分が当時の医者に聞いたことだった。薬物療法の1クール目は終了したが、効果は乏しいと言える。また薬を変更しないといけない。ただ、病状が安定したため一度退院の方針となった。

「現時点ではわかりません。薬の効果を待つばかりです。薬が効けば年単位は生きている方もいらっしゃいます。」

この職業になると、出来るだけ柔らかくより確実な情報を伝える為に婉曲な表現を覚えていく。人はいずれ死ぬ。死に方は多種多様だ医者は神様じゃないから経験則なら答えれるが、具体的な死期は答えられない。またこの時期に希望を失わせてもダメだ。

「でも、これだけは言えます。今、お母さんは生きている。あなたのために、1秒でも長く、素敵な思い出を作ろうと生きている。あなたのお母さんは、治療して癌と闘っています。」
「あたしのため?」
「はい、だから希子ちゃん、あなたは側にいてあげて下さい。希子ちゃんがいることがお母さんの力になるんです。」
「うん、先生。私、ママを支えるね」

また、患者の娘は続ける。

「ね、先生、私ね、お薬使って苦しめる先生のこと嫌いだった。薬で髪の毛抜けて、吐いてるママは苦しそうで先生のこと嫌いだった時期あった。でも、ママの先生が桃谷先生で良かった。毎日病棟来てくれて、真剣に最後までママのこと考えて、今も考えてくれる。ママは桃谷先生で良かった、て言ってた。だからね、これからもお願いします!桃谷結奈先生!」

パパには違う患者さんもいるのに大丈夫かな、って言ってた、に桃谷は苦笑する。

「先生!ありがとう!」

泣きそうだけど無理やり笑顔を作る。じんわりと眼頭が熱くなる。病室に出ると、すれ違った大阪に「30過ぎて仕事で泣くのはキモいからやめなさい」と笑われ、桜ノ宮には頭を撫でられカントリーマアムを渡された。仕事が終わり、伸びをして帰ろうとした時図ったように天満が現れる。この前の告白があって、桃谷は意識してしまう。あれ、あーちゃんって、こんなに可愛いかったっけ。疲れてるのかな。

「桃、今日このあと空いてる」
「あ、空いてるけど?」
「レストラン予約したから」
「・・・へ」
「あぁ!!やっぱり、忘れてる!」
「んん?ヒント!」
「馬鹿ね、桃の誕生日だよ」
「あ。」
「ハッピークリスマス&ハッピーバースデー、お疲れ様、結菜」

天満は桃谷の頬にキスをする。顔が真っ赤なまま手を引っ張られて、イルミネーションの光の中に溶け込んでいった。

END

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