焼きと茄子(創作百合/佐藤伊藤。)

 過去の残影は日常生活を生きる上で至る所に潜んでいる。
その事を思い出すのは誰かと別れた後のことであるようだ。

き、みが、いたなーつーはぁー

胡麻油の香ばしい匂いを漂わせ、じゅわあ、とフライパンの中から音を鳴らしていると、懐かしい歌が聞こえた。
今日は自分が食事当番。彼女はというと、さっさと机を綺麗に片付けて、最近お気に入りのドラマを見ている。その体操座りで丸まった後ろ姿は見慣れたもので、気にせず手元にある作業をこなしていく。実は先ほど油断して、手のひらの一部をフライパンの縁に付けて軽いやけどをしてしまったのだけど。でもたまにはあることで、しばらく冷水に浸して、また作業を続ける。

とおいーよーめーのなかーぁー

こういう風に彼女が鼻歌を歌うのはとても機嫌がいい時であることを私は知ってた。

「ね、先輩。ごはんいつできそう?」
「もー少し。待っててね」
「はぁい」

そーばーにいれてーれーば、うちあーげーはーなーびー

彼女がその歌を歌ったのは別に意外ではない。メジャーな曲であるし、彼女は軽音サークルに所属しているからだ。だから私がその歌にデジャヴめいたものを覚えるのは全く偶然で、過去の恋人を思い出したのも全くの偶発的なものだった。ただ彼女の方がやや高音な点は異なっている。その違いは私にとって大事だ。

『ええー、ヘタ取らなくてもいいじゃん』

あの笑った顔はきっと過去は、大好きなものだった。

グリルの上を確認すると、艶の帯びた紫色の柔らかい皮はすっかり硬くなっていた。そろそろいいか。取り出しまな板の上に置いて、フォークを使って硬い皮を剥いていく。この剥く作業は好きだ。無心になれるし、皮の中からみずみずしく綺麗な薄黄緑色の実が見えていくのが何より楽しい。

「わ、焼き茄子焼いたんですか?」

まだですかー?、と抱き着かれながら覗き混んで、ついで感嘆な声を上げる。

「うん」
「美味しそう!夏ですねぇ」
「そうだね」
「ふふ楽しみ。あれ、先輩、手火傷してるじゃないですか」
「あ、ちょっと考え事してたらフライパンに当たっちゃった」
「もー!先輩、ボーっとしてるから心配。手、冷やしました?」
「うん、大丈夫」

私の手に触れる手は滑らかで、常にケアを欠かさない手で、あの硬く大きな手とは正反対だった。もう一回大丈夫だよ、と言って嗜めるよう彼女の名前を呼んだ。彼女は怪訝そうな顔をしたけれど、渋々手を下ろしたのだった。

「「いただきます」」

おいしいです。彼女は何でも一様に美味しいと言う。自信がある日でもちょっと味が変だな、と自分でも思う日でも、彼女は変わらない。彼女の可愛いやスキの概念も一緒かもしれない。彼女は何でも可愛いと言うし、好きという。
でも、何でも好き、ということは裏返しに言うと何でもいい同義なのであれば、彼女は寧ろ冷たい人種かもしれないな、と妄想する。

「なにか、小難しいこと考えてます?」
「イイエ?」
「嘘。眉間にシワがよってます」
「紗季って冷たい人じゃないかなって考えてた」
「ええ!?ヒドーイ!」

おどけて、麦茶を飲んで口元を隠す。彼女は茄子を咀嚼しながらも拗ねた顔を忘れない。

「そういうことなら、先輩も冷たい人なんじゃないですか?」

彼女の言葉に「は?」、という口は塞がらなかった。

「失礼ですよ。私を誰かに投影するなんて。気づいてないでしょ?先輩、さっき私のこと違う名前で呼んだんですよ」
「え、うそ」
「ホントです」

彼女の不敵な笑みには弱く、謝るしかない。

「ごめん、いやだよね。」
「いやじゃないは嘘になりますけど。」

見た目に反して割とドライな口ぶりだけど、嫉妬深い彼女の内心は得体のしれないものだ。記憶力も良い方だからちいさな事でも隅に置けない。謝った後はお得意の言い訳タイム。

「前のやつがさ、好きだったんだよね」
「はい?」
「紗季が歌った歌。夏祭り。同じように夏に焼き茄子作ってやったなー、て思ってさ。ああでも今はそんな風には勿論思えないけどさ」

聴覚と味覚は記憶を想起してしまうという。それは苦い思い出も、楽しい思い出も全て含まれる。

「……それは、正直聞きたくなかったなぁ」
「ごめん」
「まぁ、今は私のものですもん。」
「…ですね」

何だか気恥ずかしくなって、下を向いて箸で茄子をつつきながら小さく分解していく。その姿を彼女はニコニコ観察していることだろう。

「ふふ、でもくやしいなー」

私の他にこれ食べたのがいるなんて。腹いせに彼女は代わってくるりの歌を歌う。『上海蟹が食べたい あなたと食べたい♪』彼女の嫉妬はわかりやすい。過去の記憶を塗りかえようとしてるのだろう。いよいよその負けず嫌いさに笑ってしまう。

「今食べてるの茄子だけどね」
「次は蟹食べましょうよー」

彼女の嫉妬はとてもつまらないものだけど(口に出したら怒られるな)、そのつまらなさが私を救うのだ。


END

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