佐藤さんと伊藤さん(創作百合)

佐藤。

ありふれた名字だ。日本で1番多い名字と言われている。
その平凡すぎる名字から、きっと数百年前の先祖はしょうもない身分だったのだろう。祖父は百姓ということだったから、村に沢山の佐藤さん集団のひとりだったのだろうか?
ファミリーヒストリーは置いておいて。
江戸時代の士農工商の身分制度を終え、数百年経った現在の資本主義社会においても、やはり、私、佐藤 類はしょうもない人間だと思う。
適当に勉強して、自分の頭の器にあった学校に通い、適度に遊び、学校生活を楽しみ、それなりに受験勉強して、今、ようやく1番退屈な程自由な時間を持て余す大学2年生となった。気づいたらもう20を越えていて、どんどん年を取り、先輩となって、後輩が増えていく。苗字に似つかわしい、どこでもある、平凡で平和な人生。
佐藤さんの日々はなかなか退屈なことがあるが、何とか楽しくやっていっている。

「佐藤先輩ってどこに住んでるんですか?」

薄まった梅酒を一口飲んでいるところ、ふと隣から話しかけられた。顔を上げると、見慣れない顔。顔が小さく、目鼻立ちが整った顔はどこか生まれついた愛嬌がにじみ出ていた。俗に言う、清楚系の顔というべきだろう。初めて染めたのか、痛みなく綺麗に染まった茶色の髪を三つ編みは、愛嬌さをさらに加えている。芸能人で言うと、ガッキー、いや顔の造りの幼さから桐谷美玲ちゃん似か。そういえば、この子は同期の中でも可愛いと噂になってた、伊藤紗季さんだ。

ここはとある、サークルの飲み会。時期は4月、新入生歓迎会だ。
偶然テーブルが一緒になり、一年生は適度にバラバラになるよう、と幹事が一言申しつけた後慌ただしくどこかに去り、戸惑う新入生達の中で真っ先に動き、出口近くの隅のテーブルに座った私の隣に近付き、「ここ、いいですか」と愛想良く彼女は言った。
なるほど、彼女は自分がわかってる。ここが安全地帯なことを。そして、自分が可愛いと
いうことを。

「大学の近くだよ、歩いて3分です」
「えー!近くないですか?」

まぁね、すごい楽だよ、と言った数秒後、テーブル越しからツッコミがはいる。

「楽過ぎて家から出て来ないのよ、コイツ。もう、超絶ヒッキーよ」
「麗子ひど」
「ごめん、紗季ちゃん、こいつはダメダメ大学生の見本だから、真似しちゃダメだからね!もうすでに留年候補だから」
「だからひどいから」

私の正面に姿勢を約90度正して座ったのは幼馴染の山本 麗子。一言で言うと、超A型の眼鏡美人。かなり良く言って、眼鏡をかけた北川景子さんだろうか。スタイルも良くて、中高時代は女の子のファンも2,3人いたりしたが、性格はかなりキツイ部類なので、それで泣く人も男女問わず今までに数人見てきた。いじめっ子気質ではないが、自分にも他人にも厳しいのだ。

「あはは、佐藤先輩と山本先輩やっぱり仲良いですね!」

両手を合わせて首を傾けてリアクション。これが女子力なんだろう。なるほど、可愛い。

「紗季ちゃーん!こっちきてー!」

向こうのテーブルで呼ばれる紗季ちゃん。はーい、と愛想良く答え、「じゃあ、またきます」と軽くお辞儀してきっと嘘になるであろう言葉を吐いて彼女は席を立つ。

「しっかりしてそうね。感心だわ」
「麗子好きそうだね、几帳面そうだし、礼儀正しいし、可愛い。女子アナみたい」
「しっかりしている人はいいわよ、類。約束守るもの。」
「なぜ私にふる?」

改めまして、私は佐藤 類。流れに乗って漂流しながら生きてきたような自他認めるダメダメ人間で、コバンザメか、ヤドカリか、はたまた寄生虫か、とりあえず誰かと一緒じゃないともっとダメになるようなやつだ。

「でも、あの子狙われるわね、中田くんたちに」
「だね」

高校生を卒業したばかりの子に、まず新入生歓迎会で教わることは、お酒の飲み方と、広く浅い人間関係の作り方と、女癖悪い男は本当にいるという事実を知ることだ。
世間いう、クズのような人間でも、小洒落た清潔感で溢れた服で身で纏い、なかなかスマートで大人な会話能力と一握りの自信を加えることで、とても魅力的にみえるのだ。

「どこ行くの、佐藤」
「トイーレとたばーこ」
「禁煙するって言ってたわよね」
「なんかイライラしちゃって」
「あら失恋でも?」

—–佐藤は冷たすぎるよ。
—–もしかして、男に興味ないのか?

「…うるさい」

麗子は鋭い。それを仲のいい人間に対しては特に包み隠さず指摘する。それはサバサバしている、という良い言い方と、デリカシーがない、という悪い言い方がある。だから、彼女の友達というのはなかなか限定される。

「地味に引きずってるじゃない」

無視して鞄を持って立ち上がると、目の端で視線を感じた。
あの子。奥の席でもう1人の新入生の女の子と一緒にムードメーカーと言われる男の子たちに囲まれている。目が合ったと認識した瞬間、あちらは顔を緩ませて笑顔で会釈した。次々に注がれるお酒に、目をそらした。
女の子はいつだって好奇心旺盛で、自分よりちょっと知らない世界を知ってる格好良い男の子を好きになるものだ、選ばれた、と思いたい生き物だ。お持ち帰りされようが、きっと明日にはあの先輩に迫られた、と幸せ気に話すんだろう。そう、自分にありったけの言い訳を作り出す。それはよくある本当のことだ。

「死なないし、いっか」

外に出て煙草に火をつける。基本的に煙草を吸う姿は見られたくなかった。女が煙草を吸うなんて、という小言を聞きたくないからだ。
久々の煙草は頭がクラクラした。ごちゃごちゃと五月蝿かった脳内がやんわりと静かになった。ゆっくりと息を吐いて春のゆるやかな空気に私は目を閉じた。

⭐️

その日の飲み会は荒れた。というより、毎年このサークルでは、年2回、新入生歓迎会と卒業生追い出しコンパは荒れる傾向にあった。
一次会を終え、二次会から本番。素直な新入生のほとんどは潰れかけて、あの子も男子たちに囲まれてお酒を飲んでいる。あの子は限界なのか、笑顔は崩さないが、瞼を閉じて、フラフラしていた。あの酒の量からして、遺伝的にお酒はなかなか強いようだ。しかし、顔は紅く、そろそろ限界に近い良い様子であった。

「嫌がってんじゃん」

なんでこんなこといったのだろう。頭が妙に冷静だった。静かな衝動につられて、おもむろに立って、いつの間にか男の子達に囲まれてる健気なその子を引っ張って、近くにいた店員に水を頼んだ後、女子トイレへと連れ込む。

「せんぱい?」
「大丈夫?吐いていいからね」
「あ、だ、だいじょ、でしゅ」
「言えてないよ」

ダメだこりゃ。とりあえず、千鳥足の彼女を支えながらゆっくりと便座に座らせる。そこで水が到着して水を飲ませる。自分でも驚く程の手際の良さだった。こくこくと細く白い喉に水が通って行く。

「ちょっと、休憩、していいですか」
「いいよ」

コップを受けとると、彼女は祈るように上半身を前に倒した。落ち着くところ体感20分の時間後、彼女は起き上がった。どんなに顔が紅くとも変わらない笑顔は崩さない。
本当に、この女子力、この子はアナウンサーになれるのではないか。大学1年生にして将来が有望そうだ。

「落ち着きました、ありがとうございました。」
「気をつけてね、嫌なら嫌っていいからね。」

ぽんぽんと頭を撫でる。なんとなく、小動物に似てる。犬?いや、彼女は兎か。小動物でもその赤ちゃんみたいな被保護欲を駆られるタイプだ。撫でられて紅い顔したまま頬を緩ましながら気持ち良さそうに揺れる。お酒の気持ち良さと私が甘えられる存在という安心感で彼女の口数が増え、私に絡み始めたのもそこからだった。

「先輩の家どこですか〜?」
「え、早稲田のとこ」
「えー私もです!どこのアパートですか〜!?」

まさかの同じアパートだった。

「へへ、今日は安心ですね〜」
「は?」
「佐藤先輩に連れて帰ってもらえる」
「いやいや」
「ダメなんですか?」
「大丈夫」

なんだかんだ言って、二つの返事で返す私は美人に弱いらしい。やったぁ、とふにゃりと柔らかく笑う彼女を見て、ま、いっかと心でぼやいた。近所の子を邪険に扱う訳にはいかないし。
そうすると、突然何かを思いついたような彼女は悪戯っぽい顔をして私に大きな瞳を上目遣いで見つめた。私の弱気な態度は彼女に自信と大胆さを与えたようだった。私の右手を両手で握って玩具が欲しい子どものように上下に動かす。

「じゃ、先輩、もう抜けてかえっちゃいましょっ」
「え、ダメでしょ、主役じゃん」
「もうみんな1年生つぶれてますし、先輩方の目的は果たしてます!大丈夫ですってば!」

左手を顎に当てて、伊藤紗季ちゃんを連れて帰った後のことを考える。サークルの新人アイドル(?)を勝手に帰らす。…男の子達からクレームが来そうだ。

「何考えてるんですか?」

ぐいっと手を引っ張られ、下から顔を近くにして覗かれる。間近に見た大きな瞳と形の良い鼻筋と、甘い香水の匂い。再び謎の衝動に駆られた。

「うん、じゃ、帰ろっか」

こっそりと鞄を伊藤紗季ちゃんの鞄と自分の鞄を取って(麗子には滅茶滅茶怪訝な顔されたが、下手な言い訳を一言二言言って会話をブチ切った)、トイレへと戻る。正直胸が高鳴った。陳腐な言い方すると、してはいけないことをした小学生に戻った気分だった。やったことないことに踏み出した冒険心とアルコールによる大胆さと意気地なしな自分にも出来るんだという自信。同時に湧き出る衝動に動くこと自体が楽しかった。

🌟

居酒屋の外に出た時、魔界の喧騒から一気に離れ、少し肌寒くなった。春の夜は少し冷たいが新鮮な空気で溢れていた。それはお酒で浮き立った気分と上手くマリアージュした。
彼女の足取りはおぼつかなかったものだから手を差し出すと、しっかりと手を握ってくれた。純粋に嬉しくて、自分の手汗が気になったが仕方ない。手を繋ぐと、妙な安心感と冒険心が溢れて、自分があたかも最強になった気がした。早稲田のアパートまでの距離の間、お互い色んな話をした。彼女は特待生であったこと、服が好きなこと、動物に目がないこと、一人暮らしが初めてで炊飯器の炊き方がわからなかったこと。高校時代はコピーバンドしててギターを弾いてたこと(何のバンドか何故か教えてくれなかった)。こっちはゲームが好きなこと、とくにドラゴンクエストが好きなこと、麗子とは幼稚園から幼なじみなこと、食べることと寝ることが大好きなこと。大学周辺の担々麺屋巡りしてること。不思議だった。さっきまで他人だったのに話すたびにだんだん居心地が良くなっていく。人見知りな自分から初対面でここまで引き出すなんてきっと彼女はコミュニケーション能力満点で女子アナウンサー向きな気がした。もし、それ以外にあったとしたら。ないと思うけど、あったとしたら。

503号。私よりエレベーターに近い自分のドアの前にたどり着く。まさかの奇跡的な同じ階同士。きっと生活リズムが違い過ぎて合わなかったのだろう。私は大体1時間目行かないし、彼女も態度からして麗子と同じくきっちり朝から遅刻せず行きそうだ。

「鍵ある?」
「はい」

バックから鍵を取り出して、鍵を開ける。ドアを開けると、整理整頓され、インテリア家具がセンス良く並べた玄関が迎え出た。

「おしゃれだね」
「あはは、ありがとうございます、あ、先輩、部屋見ます〜?」

え、いいよ、というか否か、半ば強引に部屋の中に引きずり込まれる。入ったものの、当の本人は玄関で靴を脱ぐと力無くそこに座り込んで眠そうな顔をした。仕方なく私もその隣に座る。
家に無事に連れて帰るという任務を果たして、少しばかりの淋しさと、この楽しい心地いい時間を終わりにしたくなくて何か行動に移したい衝動に駆られた。右手に少しばかり拳を握り締める。

「ねぇ」

呼びかけると、伏せていた長い睫毛が上がった。眠そうな彼女が私に優しく微笑む。あたかも私が何を言っても許してくれるように。胸が熱い。後から考えてもこれはただの衝動だったのかわからない。恋がその人同士の気分やタイミングに影響するのなら、この衝動も決して無視できないものではないか、と自分にまた言い訳した。

「わわ、たし、さきちゃんのことがすき、、、かも?」

何故か直前ものすごく緊張して噛みまくったが、彼女の耳に届いて。紗季ちゃんは待ってたかのようにふわっと柔らかい笑顔を見せると、前に屈んで私の唇にキスをした。彼女の主張しすぎない甘美な匂いが好きだと思った。

おくりおおかみさんですね

この場合どっちのこと言うんだろう。疑問が浮かんだが、その柔らかい感覚が癖になるぐらい気持ちよくて、私は集中するため目を閉じた。

運命ってほどじゃないけど、ある角度でみたら運命なんだろう。ありふれた佐藤と伊藤が出会う確率はきっと他の苗字よりは高くて、確率的に言うと運命というには言い過ぎる気がする。
でも、その瞬間、確かに私は自由で、幸せで、運命的だった。

朝、誰かに呼ばれた気がして起きると、彼女のベッドで寝ていた。見慣れない風景に血の気が引いて飛び起きる。飛び起きた目線の先にはきちんと私服を着こなした伊藤 紗季ちゃんが爆笑して立っていた。彼女は自分の似合う服もわかるようで、印象が良くなるようなセンス良い着こなしをしていた。
自分はとんでもないことを昨日したのではないか。その一点に集中して記憶を絞り出していく。新歓で飲み会して、抜け出して、伊藤さんの家まで連れていって、そして——-
自分のしでかした事に対して、頭を抱えた。顔が熱くなる。いや、1パーセントの伊藤さんが記憶が無くなっている確率にかけるべきか。

「大丈夫ですよ」

テンパり続けている私が何かを言う前に伊藤さんは安心させるように寝癖ではねた頭を撫でられる。

「伊藤は佐藤さんがちゃんと好きですよ?」
「あ、ええぇ、」

目の前でダイレクトな告白を受けて顔がさらに熱い。寝ぼけ頭で追いつかない展開に寝癖と癖毛で乱れた髪をかき上げる。それを変わらない可愛い笑顔で観察されると、いっそう恥ずかしくなった。彼女は左手の腕時計を見た。

「先輩、1時間目いつも出ないんですよね?じゃ、私、大学に行きますね」
「うん、……って、何で知って、」

慌てる私にきょとんとした彼女はまた笑った。

「やっぱり鈍い!同じ階なんだから当たり前じゃないですか」

腰に両手を当てて、怒ったふりをする彼女にまた固まる。
この子は何を言ってるのか。私の顔から考えを汲み取った彼女は小悪魔のような笑みを浮かべた。

「ずっと見てたんですよ?」

失恋したと聞いてチャンスと思ったんです。

その一言で固まる私の額を人差し指で弾かれる。

「先輩」
「はい」
「行ってきます。」

細い人差し指と中指で顎を上げられて、キスされる。

「合鍵机の上に置いてるので、鍵ちゃんとかけてくださいね、後はポストに入れてください。」

彼女の勢いにただロボットのように頷くしかなかった。これが全て計算としたら。 兎じゃないかもしれない。例えるなら、狐か。
彼女が出た後、私は糸が切れた人形のように座り込む。

「やっぱ女子アナみたい」

どうやら佐藤さんの日々もなかな退屈ではなさそうだ。

2016年9月11日 pixiv掲載

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