灰とハリネズミとダイアモンド(バンドリ/さよひな)

 

 赤ちゃんの時の記憶ってある?
私はあると思うのけど、彩ちゃんや千聖ちゃんに言わせると、絶対ないと言い張るので、夢なのかもしれない。ただ、夢にしてはあの光景は具体的すぎた。生後数ヶ月にして視覚が発達した頃、昔の家で初めてお姉ちゃんの顔を認識して、私は本能的にこの人が好きなのだ、と感じたのだ。


 私が「普通」じゃないのは初めからだった。

「日菜ちゃん、ここ教えて」

小5の算数の時間。2番目に賢かった女の子が生き物図鑑を読んでいた私の席に教科書を持ってやってきた。真面目な子だった。

「うん、いいよ。」

教科書で指し示された頁を捲ると、ひどく簡単な数字と符合が書かれてある。瞬時に暗算で答えが解り、ひとつ疑問が湧く。

「ねぇ、何でこんな簡単な問題わかんないの?」
「え?」

悪意のない、只の純粋な疑問だった。その子は1+1は簡単に解けるはずなのに、どうしてこの問題は解けないのだろう。

「これはこれをここに入れて、適当に計算したらびゅーっと直ぐにできるじゃん。何がわからないの?ねぇ、どうしてどうして?」

その子は泣いた。顔を歪めて泣いた。いじわる、と呟いた。意味がわからない。解き方を教えたのに何でそんな顔をするの。いつの間にかクラスの皆が集まってその子を慰め出して、こっちに咎める眼を向ける。よくわからないから笑ってると、またそのいくつもの眼達が痛く刺さってくる。

「日菜、何してるの!?」
「あ、お姉ちゃん!」

クラスの友達から聞きつけたお姉ちゃんはこの状況を見て唖然とした。泣いてる子と何で泣かしたかわからなくて笑ってる妹に。あ、そうか。答えを教えてあげてないからだ。私はさらっとその子の教科書に数式を書いて解を出す。

「ねぇ、泣かないで。ほら、その問題の答えは17だよ」

その時、自分の片割れのはずの姉すら固まった。だけど、その時お姉ちゃんは優しかった。ため息をついて、手を差し伸ばしてくれた。

「日菜、おいで」

私がその手を握ると、お姉ちゃんはその場から無理やり教室の外へ出してくれた。手を繋ぎながら、行き先もわからず小さな歩幅でふたり廊下を歩いていく。

「お、お姉ちゃん、ねぇ、どこいくの?」
「日菜」
「なに、お姉ちゃん?」
「あなたは特別なの。自分は出来ても他の子ができないことが沢山あるの。あなたは他の子をもう少し理解しないと」

その言葉に引っかかった。特別だって?そんなはずない。私はただ普通にしていただけだ。

「そんなわけないじゃん!お姉ちゃんの方が特別だよ!」

嘘のない言葉に突然足が止まり、お姉ちゃんが声を荒げる。

「日菜!!」

その顔は泣きそうな顔をしていた。あの子と同じ顔だった。

「もう、何も言わないで」

お姉ちゃんの傷ついた顔に私は黙るしかなかった。後で知ったけど、あの問題は6年生の難しい問題でお姉ちゃんも解けなかったのだ。


「氷川さんのお父さん、東央大学の教授らしいわよ」
「納得ねぇ。ずっとあの姉妹が1番2番ですもの」
「でもあのいつも1番の妹は少し変な子よね、お姉ちゃんは努力家でいい子なのに」
「問題児よねぇ。やっぱり頭良すぎる子はどこかおかしいのよ」

 私達が一重か二重やら耳垢のウェットかドライやら背丈が低いか高いかと同じように、脳の構造も親から遺伝する(これを言うと人を差別する意味で捉える人いるからと親に怒られるから口には出さないけど)。どうやら私は脳の造りが随分おかしく遺伝したらしい。見たもの、読んだもの直ぐに記憶して理解し、実際真似出来てしまう。サヴァン症候群疑いで小さい頃は一人で色々知能検査を受けた。結局よくわからず終いで、少々難あるけど、お姉ちゃんのフォローのおかげで最低限の社会生活を送れてるということで私の記憶力に対する親の興味と懸念はそこで終わった。ただじっとしてられない性質は特にお姉ちゃんに迷惑かけたと思う。授業中抜け出して、猫を追いかけたり、図鑑に載ってた植物を探したり、化学薬品を勝手に取り出して、実験したり。頭の中のどうしてが止まらない。どうして円は半径の二乗×円周率何だろう。どうして爆弾が爆発するのだろう。どうして生物は動いているのだろう。煩いほど頭の中が疑問が湧く。その度に本を読んで理解してまたつまらなくなるけど、理解しないとイライラするし、そわそわしてしまう。

「日菜、何してるの?」
「あ、お姉ちゃん!本だよ」
「そう」

私の双子のお姉ちゃんは完璧だ。賢くて、優しくて、美人で、いつも委員長でクラスをまとめて皆に信頼されて、輝いている。私にないものを殆ど持っている私の大好きな片割れ。私の唯一の癒しだ。お姉ちゃんがいるからこの直ぐにつまらなくなってしまう世界でも生きていける。ただ、委員会の仕事が忙しいのか、最近私に対して口数が少なくなった。

「日菜、この絵」
「あ、うん、お姉ちゃん、この間、絵描いてたじゃん?るんってきたから真似しちゃった。どう?上手く描けてない?先生がコンクールに出すって」
「…そう」

その表情がどこか寂しくて胸が痛くなる。お姉ちゃんと一緒に何かしたくて、褒めて欲しくて、構って欲しくて、それがるん!とくることばかりだから真似をしただけなのにどうしてそんな顔をするのだろう。

 寒い冬の日。いつも追いかけていた猫が雨の中、車に轢かれて死んだ。動かなくなったのが不思議で傘を差しながら、静かに死骸を抱き抱えて、道路を離れ、庭に連れていく。傘で帰っていたお姉ちゃんに出くわし、私を見てぎょっとした顔をする。

「日菜!何やってるの!?」
「猫さんが死んじゃった」
「ひ、日菜!とりあえず、埋めるわよ」

お姉ちゃんが雨の中、一緒に穴を掘り、猫を埋葬してくれた。二人、手を合わせて、そっとお姉ちゃんの方を向くと、お姉ちゃんは泣いていた。

「何で泣いてるの?お姉ちゃん」
「な….何でって。痛かったんだろな、って、か、可愛そうで」
「….そっか、そうだよね、可愛そうだよね」

お姉ちゃんは賢いから何でも知っている。人やペット、生き物が死んだら可愛そうで、悲しくなるんだって。人は誰かに劣ってると感じると、悔しくて泣きたくなるんだって。人は好きになると嬉しくて幸せになるんだって。私は猫を見て、何を感じたんだっけ。何も感じなかった。只、死ということに興味を持っただけだった。まだ馬鹿だからかな。いつになったらお姉ちゃんみたいになれるんだろう。

 そんな、私も中学生になった。相変わらず授業を聞いて、教科書を一度読むだけでクラスで1番だった。新しい事を学べるから学校はそれなりに好きだ。ただ簡単に理解出来すぎるから少し退屈だ。何でこんなものに成績なんてつまらないものをつけるのだろう。この頃から部活と生徒会で忙しいお姉ちゃんと疎遠になり、自分の学習の効率が上がり、急速に世界が退屈になった。退屈だからたまに授業をサボるようになった。余りにも毎日退屈で死にそうだから感覚的にるんっ!とするものを至る所まで歩いて探し渡る。

「あー、退屈」

今日は天気がいいから英語の授業は休んで屋上でお昼寝しよう。ブランケットを取って、秘密に盗んだ鍵を取り出して屋上まで行き、るん!とくる暖かそうなポジションを陣取り寝転ぶ。空は遠く、青空に隠れる月が見える。

「1969年、アポロ計画でニールアームストロング、マイケルコリンズ、エドウィンオルドリンが月面着陸に成功した。That’s one small step for a man, one giant leap for mankind!るんっ!てくるなぁ」

そうだ、地上はつまらないから違う星を征服したらいいんだ。星の王様になれば少しは楽しそうだ。凄く大きい木星や、キラキラ輝いている金星、でこぼこな水星?あぁ、やっぱり自分の名前の一部の太陽かなぁ。太陽だとかなり時間かかりそうだ。

「日菜ちゃんが星の王様になるのはいつかな〜?生前は無理だな〜。死後か、冷凍保存でいけるかな」
「何話してるの?」

適当なこと話してると、怖い顔をしたお姉ちゃんが上から見下ろしていた。

「お姉ちゃんどうしたの」
「風紀委員だから、….あなたの姉だから先生に頼まれたの。連れ戻してって。お願いだから私に迷惑かけないで。貴重な時間を奪わないでよ!」
「…ごめん」
「わかってるなら何でするの!」
「…ごめんね」
「行くわよ」

  いつしか手は差し出されなくなった。数歩先に歩くお姉ちゃん。胸が苦しい。死にそうなほど退屈で窮屈な距離。
こういう人間関係をフロイトはハリネズミの寓話に例えていたっけ(本当はヤマアラシらしい)。ハリネズミは危険を感じると体を丸めて、頭と背にある針状の毛で身を守る。ハリネズミ同士が近づきすぎると、針がお互い刺してしまい痛々しいことになるけど、離れすぎると今度は寒くなる。それを繰り返してやがて二匹のハリネズミは最適な距離を見つけるのだ。私たちなきっと今距離が近すぎて、針がお互い刺さっている状態なのだ。離れ続けるお姉ちゃんが寂しくて、針が刺さってでも私が距離を詰めなきゃいけない。いつしか適切な距離を得るために。私の方が鈍感だから、きっと適任で、お姉ちゃんにならどんなに傷ついても厭わない。

「おー、戻ったか、氷川妹!ついでにこの問題全訳してくれや!天才ちゃん」

教室に戻ると直ぐ当てられた。クラスメイトのクスクスと嘲笑が聞こえる。全訳って意味があるのだろうか、と思いながら、見せて、と近くの子の教科書を覗きこむ。

「私たちは皆 友情が貴重なものだと知ってるけどいつも不変である訳でないことも理解している。生活様式、ニーズな変化すれば友情が変わることを認識して受け入れることだ。友情を維持することで難しいのは人間関係にありがちな浮き沈みの間にも接触を強く保つことである。しかし、友情がどの」

「あー。もう大丈夫だ、氷川妹。やっぱすげえなお前」

どうも、と席に座り、お姉ちゃんを見ると、お姉ちゃんは唇を噛んで手を震わせていた。

(あぁ、またやってしまった)

この仕草は経験上「怒ってる」サインだ。私はまた知らないうちにお姉ちゃんを傷つけてしまっているらしい。
理解できなくて仕方ない。何でお姉ちゃんもクラスの皆もこんな簡単なことを真面目に聞いてられるのだろう。授業も退屈で苦痛で聞いてられなくて、机に突っ伏して呟く。最近はお姉ちゃんも相手にしてきれなくなって酷くなっている。

「窮屈だなぁ」

 渇く。乾く。燥く。
心が急速に渇いていく。サハラ砂漠のように。ケメロヴォ地区で発掘されたミイラのように。好奇心が。探究心が。冒険心が。
一時の暇つぶしのオアシスを得ても、直ぐに理解して渇いてつまらなくなってしまう。心が渇くと全ての気力が失われて身体さえも全てのことが億劫になり動かなくなる。生きる活力さえも面倒になりそうだ。だから、渇かないようにずっと動かずにはいられない。探して、見つけて、理解して、また飽きて、また探して。その永久の繰り返し。満ち溢れたい、と願い続けながら私はまたのうのうと生きている。

ーーーー あぁ、この世はなんて素晴らしいことが溢れていて、同時に退屈なことが多過ぎるのだろう!

  お姉ちゃんはそういう意味で唯一のオアシスだった。急速に飽きてしまう退屈な世界の中でお姉ちゃんだけはいつまでも夜空のように絶対的で、美しくて、魅力的で決して飽きさせなかった。「生き甲斐」だった。お姉ちゃんがすることは何でも輝いて見えた。何でも真似したかった。何でも一緒のことをしたかった。どれだけ嫌がられようと、私はこの渇きを癒すためなら何でもしてしまう。この自分より数分前に生まれた姉がいなければもしかしたらとっくに退屈し過ぎて生きることを放棄したかもしれない。また耐えれなくなって学校から抜け出して、トイレで着替えてカラオケに行って、訳がわからない感情をマイクに乗せて叫ぶ。自分でも気づかなかった感情が声に乗る。

「わぁあああああああああーーーーーーーーーーーーー!!!!」


この行き場のない、理解されない退屈さは一体どこに言ったら良いんだろう。何でみんな必死になってるの。何でみんな出来ないの。何でみんないつも怖い顔するの。何でいつもこの退屈さを耐えれるの。何でみんな幸せに笑顔に生きおうとしないの。私は全く理解できない、全く理解されない。いや、そもそも私は理解を求めていない。私はお姉ちゃん隣で、退屈をしのげれたらそれだけで良かったのだ。

そして、この日が来た。

「ただいまー」

学校から帰り、自分の部屋に戻ろうと階段に登ると、音が聞こえた。ギターの音。その瞬間、どくん、と胸が高鳴る。音の元はお姉ちゃんの部屋。少し開いた(お姉ちゃんは割と詰めが甘い)ドアから覗くと、お姉ちゃんが必死にギターの練習をしていた。その姿に私はるん!ときたのだ。お姉ちゃんが努力する姿は一層好きだった。私には出来ないことだから。
その時にお姉ちゃんが私に内緒でお父さんとお母さんに内緒でギターを習ってたことを知り、私は即時にお父さんにギターをしたいと強請った。案の定、お姉ちゃんは激怒した。

「どうして!?私の真似ばかりするの!?私から何でも奪おうとするの!?」
「ち、違うよ、お姉ちゃんのギターの音が凄かったから憧れて」

別に奪いたかったわけじゃない。一緒に何かして、ただ一緒に笑いたかった。唯一の理解者である片割れを失いたくなかっただけだ。姉を失うことが自分にとって1番怖いことだったから。お姉ちゃんがいないと、私はいつまでも「普通」になれない。お姉ちゃんがいないと私はきっと間違った選択肢を選んでしまう。お姉ちゃんがいないと世界が渇ききってしまう。どうしても繋ぎ止めたかった。自分にとってそれは何でも良くてそれがその時ギターだっただけだ。
お姉ちゃんは珍しくギターをずっと続けた。それが純粋に嬉しかった。前は私が真似した瞬間辞めちゃったりしてたけど、ギターにはお父さんに高いお金出して買ってもらった事もあるからか、地道にコツコツ練習を続けてた。私は私で、特に苦労せず、先生に教えてもらい、すぐにギターのコードの基礎を習得した。

高校の志望はお姉ちゃんと別々になった。お姉ちゃんは成績通りの花咲川女子学園へ行き、私はブレザーの制服が良かったから羽丘女子学園を選んだ。本当は一緒の高校へ行きたかったけど、お姉ちゃんが断固拒否したことと、また中学みたいにお姉ちゃんに迷惑かけたくないし、私も自由に学校生活を送りたかったという理由で別々になった。
 高校が違うと時間割も増え、部活動になると予想以上に双子の姉妹でさえもお互いの生活がバラバラになる。ただ、前より心の渇きはゆっくりになった。ギターを始めたからだ。お姉ちゃんきっかけで始めてみたけど、奥深くて、音楽というものは人の感情を揺さぶりやすいらしい、自分には割と合っていた。私風に言うと、るん!っときやすいのだ。ギターにハマった私は動画で海外のギタリストを見ながら真似をしていた。お姉ちゃんは軽音部じゃなくて、外で色んな人とバンドを組んでるらしい。私も外に出ようと、駅前の路上でギターを弾きながら歌う。最近流行りの好きなアーティストだ。この曲自体は有名な訳ではなかったが、歌詞が好きだった。


君が願ってるよりも 君はもう僕の全部で
どうぞ お望みとあらば お好きに切り刻んでよ
今ならば 流れる血も全部


思い浮かぶのは、自分の愛しい片割れ。自分を人間にしてくれる愛しい姉。


「あの子、ギターすげぇ上手くね?」
「しかもアイドルみたいな顔じゃない?」
「可愛い!」

何回か続けてるといつしか人が集まって、拍手してくれた。ファンも出来て、早くも握手してください、とかサイン下さい、と言われた。そうしていく日々を過ごしていると高級スーツを着たおじさんが名刺をくれた。

「芸能事務所の者ですが、あなたは可愛いですし、ギターがその歳の割に物凄く上手い!良かったら是非うちのギターのオーディション受けてみませんか」

名刺を見ると私でも知ってる大手事務所だった。ふーん、と呟くと、おじさんは焦って「興味ありませんか?」と聞く。

「私、あんまりギターに興味ないんだよねー」
「え、じゃあ、どうしてそんなに上手いんですか?これは相当練習して」
「ギター始めてそんな経ってないよ?」
「え!尚更!まだ伸び代あるってことですし!間違えなくスターになるチャンスですよ!!」
「スター?」
「そうです!興味ありませんか?スーパースター!」
「ある!天文部だから!」
「え?」
「るん!っときた!日菜ちゃんオーディション受けまーす!」

成り行きで芸能事務所のオーディションを受けて、すんなり合格した。

  そこからパステルパレット結成し、全てが順調だった訳じゃないけど、毎日が楽しくて、退屈しなくて、自分と姉以外の他者という存在に興味を持って、私の世界は広がった。特に彩ちゃんはとても興味深い。何も出来ないのに、何故か人の心を動かしてしまう不可思議な他者。自分にも、お姉ちゃんにもないものを持つ存在。それ以外にも、千聖ちゃんも、イヴちゃんも、麻弥ちゃんも、とても面白くて、とても大切なメンバーだ。他人に自分がこんなに興味を持つとは思わなかった。
そして、バンドを始めてから、お姉ちゃんとの関係もゆっくりだけど修復していき、お姉ちゃんの方からも歩み寄ってくれた。
家のソファーで最近買ったアコースティックギター(もちろん自分の給料!)を弾いてると、お姉ちゃんがバンドの練習から帰ってくる。

「あら、アコースティックギター買ったの?」
「うん、いいでしょー」

お姉ちゃんがコートを脱いでハンガーにかけると、興味深そうに隣に座る。香水の匂いがふわりと鼻腔を擽る。

「ふふ、やっぱりエレキと違っていいわねぇ。ねぇ、何か弾いて?」

その甘え声にドキッとする。最近ロゼリアが人気爆発してお姉ちゃんが自信持ってきて、無意識な色気が出てきて困る。

「いいよ、でもプロは高いよー?」
「もう、日菜ったら。インディーズだからって舐めちゃダメよ。アイドルバンドなんてプロデビューしたらあっという間に抜くわよ」
「待ってるよ、お姉ちゃん。っと何しようかな、あ!スカウト前に歌った曲にしようかな。」
「スカウト前?」
「お姉ちゃんが他のバンド渡り歩いてたとき、私、路上ライブしてたんだよね」
「そうなの?聞いてないわ。一人で?危ないじゃない」
「今初めて言ったもん。では。愛しいお姉ちゃんへ。」

ピックでなく、指で弦を弾く。緩やかなアルペジオ。


『君が願ってるよりも 君はもう僕の全部で
どうぞ お望みとあらば お好きに切り刻んでよ
今ならば 流れる血も全部

その溢れる涙は落ちるには勿体無くて
意味がなくならないように コップに入れておいてよ
それを飲み干してみたいよ

閉じ込めた その涙には 人を人たらしめるすべてが詰まっていて

触れたら 壊れてしまいそうで
触れなきゃ 崩れてしまいそうな
それでも僕は手を伸ばすよ
壊れても拾い集めるよ

おさがりのキスでも 使い古しの愛してるも
大事にするよと笑った顔の頬に
走った二つの線が僕を呼んでるような気がして
触れてしまったんだ
壊れてしまわぬように
ずっとぎゅっと抱きしめた

その口から落ちる言葉は どこまでも真ん中目指して
深く突き刺さらないように 身をよじってかわす日々です

この絶望も 希望も畏怖も 平穏も 機微も快楽も
すべては君の指揮次第で

触れなきゃ 今すぐこの手で
触れなきゃ 崩れてしまう前に
君のまるごと全部に 僕は触れたいよ
壊れぬように 崩れぬように 育つように
始まるように
僕は歌う』

「あはは、どう?ギター弾きながら歌うの慣れないなぁ」

お姉ちゃん目線を向けると、お姉ちゃんの頬に涙が伝った。え、どうしよう。私、また何かしちゃっただろうか。

「あ……ごめん、私、ま、また、何かしちゃったかな。あ!もうやめるね!」

ギターを仕舞おうとすると、ぎゅっと腕の裾を握られる。

「お姉ちゃん?」
「ごめん、日菜がその曲を歌うなんて思わなくて……びっくりしたの。いつも明るくてアイドル曲多いから。すごく、良かったわ」
「う、うん、そうだよね」

何処かの心理学者かだれかの本書いてあったけど、こういう時はタオルか、テッシュをあげて、「泣いていい」という許可を動作に入れるのが正解らしい。その机にあるテッシュを使って、お姉ちゃんの目を拭く。綺麗で美人なお姉ちゃんの涙はこの歌詞のように人を人たらせるものが詰まっているんだろう。

「羨ましいなぁ」
「なによ」
「何でもなーい」

羨ましい程感受性豊かで、アーティスティックで格好良い。その豊かさはお姉ちゃんを艶っぽくせるのだ。やっぱりお姉ちゃんは完璧だ。伝う涙さえも愛しくて、髪を耳にかけてあげて濡れた頬にキスをする。愛しい、愛しい私の片割れ。胸が熱い。お姉ちゃんに伝わっちゃうかな。こんなにドキドキしてること。

「日、日菜、何やってるの!」
「え?キス?」

「あなたね、それ誰にするか知ってる?」
「大好きな人、でしょ?」
「はぁ、まぁいいわ。あなたってそういう子よね。誰彼もやっちゃダメよ」

耳まで真っ赤なお姉ちゃんにるん!とくる。私をいつもそうさせるのはお姉ちゃんだけだ。

「つ、伝わったわよ、音楽から。その頃から私のこと大事に想っててくれてたのね、って」

最近は不器用ながらお姉ちゃんはちゃんと伝えてくれるし、褒めてくれるから嬉しい。

「さっすがお姉ちゃん!エスパー?」
「わかるわよ!!日菜のことなら」
「ふふ、ねぇ、お姉ちゃん、私、赤ちゃんのときからお姉ちゃんのこと好きなんだよ」
「何言ってんの、日菜」
「やっぱりお姉ちゃんは覚えてないか。すっごく小さい、赤ん坊の頃だけど、泣き止まない私の手をずっとお姉ちゃん触ってくれてたんだよ。その時、私、感じたんだ。私はこの人がいれば何でも出来るんだって。」
「そんな訳ないでしょ」
「あはは!そうだよねー」

あれが夢か、現実かなんて些細な問題しかならない。ただの信じたい信仰めいた何かでしかないから。
私とお姉ちゃんはそういう見えない何かで結ばれていたいという信仰を。

「お姉ちゃん、ありがとう。優しさを教えてくれて。感情を教えてくれて。常識を教えてくれて。音楽を教えてくれて。ギターを見つけてくれて。みんなに出会わせてくれて」

「普通」にさせてくれてありがとう。決して「独り」にさせないでくれてありがとう。

次々と感謝の言葉を繰り出す私に慌ててお姉ちゃんは咎める。

「ちょっと、何それ。一生の別れみたいだからやめて」

振り向いたお姉ちゃんは固まった。笑う私の頬に伝うなにか。これは「嬉しい」だ。ようやく私はお姉ちゃんに追いつき出しているのだ。私は嬉しくて勢いよく抱きつく。全身で私は幸せだよ!と伝えてやる。お姉ちゃんのハリネズミの針なんて気にしない。刺されて死ぬなら本望だ。


大好きだよ、おねーちゃん!

END

2017年11月4日 pixiv掲載

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