ダンサー・イン・ザ・ダーク(FE風花雪月/ドロレス)

 王が処断され、帝国に囚われ、堕ちぶれてもまだベレスは神々しさを残していた。否、そのいかなる処遇でも顔色一つ変えない存在感は明らかに人間離れしており、寧ろ増したようであった。その独特な髪色、その瞳の色は女神の証であり、常軌を逸した存在であることは宗教に疎いドロテアも一眼で理解できた。しかし、その宗教の象徴たるベレスをあの冷酷な女帝は意外な事に捨て置いた。本来ならばその存在は彼女の野望の上でまず抹消しなければならない。その選択の意図は彼女以外理解できない事であった。

「じゃあ、よろしく頼むわね、ドロテア」

 それは王国を制圧し数か月経過した、ある日のことだった。ドロテアは皇帝に彼女の遠征中のベレスの世話を命じられた。彼女が幽閉されている場所は仲間の間でもヒューベルトと皇帝の侍女以外しか知らされなかった。かつての教師は首都アンヴァルの塔に政治犯として収監されて、拷問を受けていた。ただその塔に入れるのは皇帝と世話人だけ。どういう訳か皇帝は徹底して、 憎き象徴であると同時にかつての敬愛する教師である彼女を極力誰にも会わそうとしなかった。
 ドロテアが足を踏み入れ、延々と続く螺旋階段を歩いて登っていく。最上階まで登り、重厚な石扉の前に立つ。ある順序の魔法を唱えると、それがキーとして開くようになる。言われた通り魔法で扉を解除し、ゆっくり石扉が開かれると、魔力を封じる札が無数に貼付してある紐を全身巻きつかせ枷で四肢を拘束されたベレスを見つけた。その眼は既に皇帝に潰されている。ごく、とその凄惨たる姿にドロテアは息を飲む。眼を失わせたのは師の逃亡を阻止し復讐をさせない為だろう。しかし、ドロテアはもう一つ驚いたことがある。その姿になっても彼女は全く神々しさは失っていない。寧ろミロのヴィーナスの様に欠陥が魅力を極立たせてしまっている。女神の存在を信じざるをえないのでないかと、 目の前の存在を前にして考える。そして、また気づく。ベレスの身体に他の誰かの体液が付着している。先程遠征に行く前に塔を訪れた者の体液。
―――皇帝のものだ。
 ドロテアは拘束を外し、胸と陰部をかろうじて隠した布切れの様な囚人服を脱がし、ベレスの身体を清拭する。身体にはいたるところに手をつけた痕跡が残ってある。頸に数個の噛み痕、眼は魔術で焼かれた痕、口周りに女帝の膣を舐めさせられた痕、体躯に複数の痣と切傷、強姦された後の陰部。

「酷いわね」

 教会への増悪と師への欲情が相反し混沌とした感情を彼女に全て表出しているのがわかる。セイロス正教の戒律「姦淫してはならない」を愚弄するかの如くの皇帝の行為は完全なる女神の教えの否定だ。それ以外にも意図とすれば―――ドロテアは同じ女だから感じ取れた―――嫉妬だ。何処までも緻密で計算高く建設的思考を持ち、理を最重視する皇帝はある一点に置いて、感情的な女であった。その一点が、幸か不幸か、偶然にも彼女の敬愛する師であり、同時に増悪の対象の女神の器であったことに他ならない。
 皇帝は敬愛する師に選ばれた王に嫉妬した。そして憎き教団の象徴となり自分に剣を向けるベレスを見た時、今までの鬱積が一気に放流された。

「ここまでしなくても良いのに。エーデルちゃんは容赦ないわね。逆らえないわ」

 濡らした温かい布で背中を拭く。そのいつもと違う優しい手つきと声に疑問を持ったのか、「エル?」とベレスは尋ねた。

(『エル』、ね)

 そう勘づきながらドロテアは戯ける。捕虜にその愛称で呼ばせるのは不自然だ。

「先生、こんなにも美人な生徒を忘れちゃったんですか?」
「…ドロテア?」
「正解です♪」
「ドロテア、久しぶりだね。エル、エーデルガルトは遠征?」
「ごめんなさい。陛下の命で教えてあげられないの。先生が逃げちゃわないように、今日は私が監視役とお世話係なのよ」
「ふふ、こんな姿で逃げれると思うの?」

 頸を揺らして笑うかつての先生の頸を丁寧に拭く。以前よりごっそり肉が落ちて細くなった首筋。

「…先生のことですもの。万が一の奇跡が起こっちゃうかもでしょう?」

 本音だった。ドロテアは信仰心が薄いが、『神がいるならば』と仮定すれば彼女の事を指すのではないかと思う。 幾多の闘いで奇跡を起こす、天使でも悪魔にでもなる存在。 味方ならば、どんなによかったことだろう、とドロテアは王国との戦争の最中何度だって考えたものだ。
 手枷足枷は外してないが、天井に吊り下げるのは流石に清拭する時は解除する。この隙に逃亡の契機を奇跡的に作るのではないか不安だったが、ベレスに逃亡の意志は感じられなかった。

「ねぇ、先生。ここから出たい?」
「……出来ることなら」
「もし私がこの鎖を解いてあげると言うならどうします?」

 そっとドロテアはベレスの首に唇を寄せる。その生温い感触と湿っぽい声にベレスは相変わらず無反応だ。それを良いことに歌姫は行為を続けた。

「ディミトリは死んだ。女神の力も段々弱体してきてる。私はもうすぐお終いだ。」
「ええ」
「私の生徒はもうこの世にいない」
「……ええ」

 ドロテアの唇は首筋から浮き出た肩甲骨の間をなぞる。手は細い腰を回し先生の肉感を堪能する。しかしその動作も止まることになる。

「もし、君が枷を外してくれたなら。私を殺してくれる? ドロテア」

―――その一言によって。

(私が、先生を殺す? 無防備な先生を?)

戦争の様な殺すか殺されるかの状況や命令なら出来るだろう。だが、今は違う。生殺与奪が自分にある状況だ。しかし冷静に考えると皇帝の命令にはないことだ。

「今、先生殺しちゃったら、私もエーデルちゃんに物理的に首を飛ばされて死ぬわね」

 ドロテアはまた誤魔化してベレスの胸を拭く。痩せ細くなっても尚豊かな胸の膨らみにドロテアは小さく唾液を呑む。こういう状況でも、若しくはだからこそか、その体躯は極上までな程に美しいと感じた。

(これは、エーデルちゃんの事悪く言えないわ)

 寧ろ、この姿を見て何もしない人間等いるのだろうか。この塔を男性禁にするどころか、侍女と数人しか世話をさせず、皇帝直々に詰問する等異常だ。しかし、この存在を前にすると、どうしても理解できてしまう。

「んっ……」
 
 濡れた布の上から膨らみに手を添え、その感触に浸る。わずかに身を捩るベレスの反応が嬉しい。腰に回された腕を強く引き寄せ、自分に痩せ細くなった身を預けさせる。これ以上なく優しく包み込み、抱きしめても彼女の心音は全く聞こえなかった。ドロテアはベレスが空の器であることを気づいていた。中身の女神はベレスではない。只、ドロテア自身が愛したのは他にない、その器の方だった。 そっと顔を寄せて、無抵抗なその唇に口付ける。それは少女が人形にキスをする様な、そんな、くちづけだった。人形はまた無反応で彼女を受け入れた。そっと静かにベレスから離れると、歌姫はベレスの手足を塞ぐ魔力の鎖を外す。高度で複雑な魔力でなされた鎖も最上級のグレモリィであるドロテアには容易なことで一つずつ解いていく。拘束がなくなったベレスを手を引いてゆっくり立たせる。ドロテア?、とベレスは疑問に持ったようだが、ドロテアは歌うように言う。

「踊りましょう、先生。あの幸せだったあの頃の様に」

 ベレスの脚は萎縮し、盲目であるので一歩一歩ゆっくりとしか歩けないが、ドロテアがリードして合わせていく。ひとつひとつ、ゆっくりとステップを踏んでいくと、べレスはあのガルグ=マグでの舞踏会を想起した。盲目の世界の中、5年前の光景が広がっていく。煌びやかなガルグ=マグ大聖堂、優雅な音楽、談笑し合う幸せそうな生徒達、目の前に美しく踊る5年前の若きドロテア。

 この時、この瞬間、この空間では、ふたりは幸せに浸った。誰にも見られず、誰にも知られず、立場に惑わされず、あの頃の様に踊りながらひとときの夢を見た。
 ベレスはこの幽閉塔から脱獄すればその髪、その眼、また欺瞞に満ちた宗教の大司教とい立場から帝国民から永久に追放されるだろう。ドロテアも彼女を逃せば処刑は免れない。 夢はただの儚い一時の夢に過ぎないものであるが、ただひとつ救いを言えば、その瞬間の夢は現実に彼女達の幸せな思い出だった。

「先生」

息を切らし楽しそうに笑うドロテア。ベレスもその綺麗な声にはにかむ。それは互いに過去に戻ったようだった。

「先生の願い、叶えてあげる」

 屋上への螺旋階段をドロテアはベレスの手を引き、走って頂上を目指す。あの抜け目のない皇帝陛下の事、魔力の鎖が破られたことを探知し、強兵が直ぐにでも塔を駆け上がってくるだろう。
塔の頂上はアンヴァルの街並みをほとんど見通せる。その光景を見ながらドロテアは盲目の師を腕の中に包み、また口付ける。秘かに腰に潜ませておいた短剣を手に取りながら。

「ドロテア?」
「ふふ、先生。愛してます」

 鈍い音がして、少し間を置いてベレスの身体が倒れていく。唇に鉄の味が広がる。下から騒がしい音が聞こえ始める。帝国兵が裏切り者を処罰するため必死に塔を駆け上がってくる。

「心を王に、眼と身体を皇帝に奪われたなら、私は思い出を奪うわ、先生」

ある人は言った、たとえたった一つのよき思い出さえも、私たちの心に残っていればいつかは私たちの救いに役立つと。ドロテアの救いは今ではなく、過去であり、かつての師であった。

(ごめんね、エーデルちゃん。私も本気なの)

 ドロテアは倒れるベレスを抱き真っ逆さまに地に落ちていく。走馬灯が流れ出生から今までのあらゆる記憶が流れる。ドロテアの幼き過去は、決してよいものではなかった。しかし、運命はマヌエラとの出会いで一転した。歌姫として一世風靡し、突然の引退表明をし、士官学校へ進学し、ベレスとエーデルガルトと出会い、戦争に巻き込まれ、そして、また最期まで大きな運命に弄ばれている。

(でも、今でも言えるわ先生に会えて良かった!)

 次に音が聞こえた時、断末魔と同時に正午の鐘がアンヴァル中を鳴り響いた。


【ダンサー・イン・ザ・ダークend】

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