舞台恐怖症(局長×ハーメル)

真っ暗な暗闇の中、わたしは独り舞台の上に立っていた。静けさの中に観客の囁き声が微かに鼓膜を震わす。スポットライトに照らされる前の緊張感が姿勢を正し背筋を伸ばさせる。
明るい音楽が流れ、金色のライトが頭上から降り注ぐ。

今日も、踊る。
それはわたしの生きる糧であり、価値である。わたしは踊らなければ、ならない。
踊りゆく存在。

誰のために?
それは、家族のために、母のために、観客のために。

指先で感じ取った世界は悲しい旋律が流れているのに、観客はわたしに欲望と快楽に耽ける音楽とダンスを求めた。知覚と行動がチグハグで違和感を感じながら、わたしは染み込んだステップを崩さず踊る。

憂いは青紫色の煙を生み出し、リング状に形成し、破裂し散らばってく。その中からクラゲの形をした幽影が現れ、わたしを惑わしていく。幼い頃から悩まされた擬似幻覚状態に頭痛を覚える。

『本当に?』

ソレは続けて言う、

『本当にあなたはそのために踊っているのか?踊りたいのか?』

 その言葉は静かであったが、自分の隠したい核心的な部分を突かれた気がして動悸がする。

「やめて……下さい……少なくとも今は」

 舞台上で静かにわたしは幻影に懇願する。もうダンスは始まっている。観客が入っており何かがあってはならないのだ。ソレは幼い頃から共にいた。ソレの存在を母は容認しなかった。母はソレについて話すわたしを嫌悪し、口出す事を禁じた。わたしは萎縮して母の言う通りに従った。しかし、現に目の前に具現化して存在してしまっている。憂いがわたしの成長と共に大きくなった証拠だ。

「やめて……消えて…」

 必死の懇願も虚しく、わたしだけに見える幽影は続けた。

「何故?わたしはあなたの一部だ。あなたを理解している。あなたはこんな奴らのために本当に踊りたいのか?」

 幽影は一回転華麗に旋回すると、わたしに更なる幻聴を見せた。

『ハーメル、僕のために踊ってくれるんだ!僕を見て、ハーメル。僕はあなたのために1ヶ月休まずに稼いだんだよ!』
『私を楽しませて、ハーメル!あなたは私の希望!あなたの美貌は世界を平和にさせるわ!』
『大金を払ったのだ。マネージャーを通してハーメルを私のホテルの部屋まで連れてこさそう。あの極上までの身体、堪能しなければ』

 脳内に直接無数の声が入り込み、息が詰まる。無数の観客の感情がひとりの脳内に混じり合い、気持ち悪い。

『彼らはあなたを道具としか見ない。
勝手に期待して、勝手に絶望して怒る。あなたは本当に彼らのために踊りたいのか?』

そうわたしはただ自分の感じるまま自分のダンスを自由に踊りたい。あの日、内海大爆発で見た悲惨な光景を、見たままの滅びのダンスを踊りたい。しかし他人はそれを求めない。一時の現実逃避をしたいだけ。彼らの需要とわたしの表現したいダンスは噛み合わない。他人は勝手に自分を評価し、イメージを誇張し、仕切りにそのイメージの型に嵌ったわたし自信を手に入れようと求める。偽りの世界、偽りの音楽、偽りのダンス。

『その通り!!あなたはそんなダンスを踊りたくないはずだ!消えゆく姿、悲愴な姿。悲しみ、滅び、脆さ。内海大爆発がディスに残したものこそがあなたの表現したいもの。ディスの未来、美の予言。あなたは本当は滅びのダンスを踊りたいのだっっ!!』
「やめて……」
『いいぞ、絶世の舞姫の名は伊達じゃない!』

耳を塞ぎたいが、脳内に言葉が直接入ってくる。母親の声が頭の中に染み込ませるように流れてくる。

『愛しい我が子。あなたは天才。しっかり踊りなさい。 これからの私の権力と富のために───』

 照らされたサーチライトが熱く、汗が異常に浮き出る。いつしか足は止まっていた。観客の無数の視線が一斉にわたしを突き刺していく。彼らは自らの快楽のために、現実逃避のために、富や権力のためにわたしを利用するのだ。

「これが伝説と言われた絶世の舞姫か?
「踊れよ!何突っ立ってるんだ!!」
「いやな奴め!!踊らないなら消えろ!」
「有名になって私たち一般人に踊りたくなくなったの?」

わたしは彼らの傀儡でしかない。感情を殺し、ただ彼らの求める物だけを表現する。

「はっ……」

 胸が詰まる。動悸がする。呼吸が苦しい。うまく息が吸えない。手足が痺れ、血が引いていく感覚。もう自分で自分をコントロールできない。必死で何かに掴もうと手を伸ばす。

「はっ、はっ……ぁっ……はっ……!!」

誰か、誰か、誰か────

「たすけ」

 救いの言葉は途切れた。視界が真っ白になり身体は後ろ向きに真っ逆さまに床に崩れ落ちていく。鈍い音が遠くで聞こえ、意識が朦朧となる。しかし聴覚だけは皮肉にも最後まで残り、喧騒の中わたしはひたすら意識が途切れるまで罵倒の声を浴びせられた。

当たり前のこと。彼らは大金を払ってまでこのステージを見に来てくれたのだ。ステージ上で踊れないダンサーなど、一文も払う価値などない。仕方ない事だと諦める。彼らにとっては、わたしは最後までただの道具でしかないのだ。

それ以降わたしは舞台に立てなくなってしまった。


⭐︎


 目を醒めても息苦しさが残っていた。呼吸が浅く酸素がなくなった金魚の様に空気を求めて喘ぐ。

「はぁ、あっ、はっ、はっ、はぁっ」

 不意に誰かに呼ばれて後ろから抱きしめられた。顔の見えない獣のような人間に抱かれていると幻視して、一気に背筋が凍り嫌悪感で吐き気も込み上がってくる。わたしはこの状態で、この獣に犯されるのだという絶望感に更に息苦しさが増す。

「いやあああぁあああっ!!いやっ!!はっ、やめて、離して…くだ、はっ、さいっ!!」

 息も絶え絶えに何度も力の入らない無力な手で突き飛ばそうとするが、その人は諦めない。手から赤い閃光を放ち強くわたしを抱きしめる。その光で胸が一瞬灼ける程に熱くなり、呻き声を上げる。
 
「ハーメル!落ち着け!M値が上がっている……!!」

 その声と枷の温かさには覚えがあった。
───あの人だ。
わたしは無意識に安堵をした。安心してその腕にしがみつき、その身をその人に預ける。背中から他人の呼吸音が聞こえた。肩を優しく擦られ、宥められる。

「そう、ゆっくり。ゆっくりでいい。焦らなくて良い」
「はっ…………はっ……局、ちょ………?」
「うん。大丈夫、大丈夫だ。無理に喋らなくていい。ほら。ゆっくり呼吸して。今は私しか貴方を見ていない。安心して…」

振り返ると、馴染んだ整った顔が眉を八の字にして心配している。その優しさに心が溶かされて目が自然と潤む。

「きょくっ、ちょう……はぁっ、たすけて……」

語尾は頻回な呼吸に遮られて小さくなったが、ダークグレーの髪のその人には十分伝わっていたようだ。腕を引っ張られ強く引き寄せられた。

「当たり前だ。あなたを必ず助ける」

その感情に震えた言葉はわたしが今まで求めていたものなのかもしれない。顔をその人の肩に埋めると、優しい手つきで背中を撫でてくれる。優しい腕、鼓動、匂い。全身を包み込まれる感覚に徐々に息を取り戻していく。数十分そのまま経過すると、かなり落ち着いてきた。

「局長……」
「落ち着いてきたかな?」
「ええ……ありがとう、ございます。あの……」
「なんだ?」
「もう少しだけ……このままで、いさせてくれませんか?」

局長は驚いた顔をしたが、「ああ、いいとも」とすぐに頭を撫でて頷いてくれた。

「局長もわたしの夢を見たのですね」
「ああ」
「あれ以来わたしは人の視線を気にするばかりで……」
「うん」

これは既出のMBCCのコンビクト情報であるだろうが、局長はわたし自ら発せられる言葉に集中していた。この人のそういう所が好ましいと思う。だから正直に不安を吐き出せる。

「わたしは、まだ……病気なんでしょうか?克服出来ていないのでしょうか。あなたと出会い、答えを見つけたのに」

わたしの不安を局長は受け止めて真摯な態度で正直に答えた。

「わからない。ただ、恐怖やトラウマは誰だってあるもの。思い出すことはある。その都度向き合うしかない」
「……」
「ハーメル、これからも踊りたいか?」
「はい」
「なら、言っただろう?私はあなたの表現したいダンスを自由に踊らせてやる。最後まで観客でいる。必要ならあなたがいつかちゃんとした舞台で踊れるように私が助ける。あなたがまた幻想に飲み込まれそうになっても私が何度だって助けて連れ戻してやる」
「……」
「どうだ、満足か?その時は私を特等席で見させてくれ」
「はい」
「約束だ」

局長は見た目以上に頑固で、執着心は強い。初めはあまりにも頑固な性格に戸惑ったけど、そのおかげでわたしの時間が動き出しこの世に留まっている。
この人から感じ取れる音楽は素敵だ。明るく、情熱的で、愛情深い。わたしはこの人から憂いや災難でなく、煌めく星を見出し、新しく表現したいダンスを教えてくれた。最早わたしなくてはならない存在。

「局長」
「なんだ?」
「局長も、わたしの前からいなくならないでくださいね?」
「ああ」
「約束です」
「……わかった。約束しよう」

小指と小指を結んで指切りをする。わたしは自然と笑顔になり安心すると、一気に眠気が襲い眠くなった。

「眠いのか?寝ていいぞ。しばらくここにいるから。おやすみ、ハーメル」
「はい……局長……」

枷に包まれながら、わたしは安心して眠りについた。



「局長、無事ですか?」
「ナイチンゲール副官」

ハーメルが寝静まり暫くすると、ハーメルの牢の中にナイチンゲール副官が様子を伺いながら入ってきた。後ろには警護兵団がいつでも突入出来るように控えていた。副官はベッドの上で局長が座り、膝の上にハーメルが頭を乗せ横たわって穏やかに眠っているのを見て、ため息をついた。二人の傍に近寄り、不満をボヤく。

「……全く。M値が一時急上昇した時はどうなるかと思いましたよ。相変わらず局長は彼女に甘いですね」
「心配させてすまない。だが、前にも経験したが彼女自体に害はない。とても優しい人だ。それに彼女の病気の特性からは見知らぬ複数人では悪化させてしまう可能性あるからな」
「私はその強すぎる能力が心配です。骸と数十万の死瞳をたったひとりで抑え込む力。彼女はやはりまだ不安定であり暴走する可能性もゼロではないでしょうに」
「それもそうだな」

局長は苦笑して、赤ちゃんの様に眠るハーメルの白い頬を指でつんつんする。今の姿からはとても人に害を与えるような力があるとは見えないがな、とこっそり局長は思う。副官の手前口には出さないが。

「あなたの思うままのダンスを私はもっと見たいだけなのかもしれないな」

そう呟くと、頬の指をきゅっ、とハーメルに軽く握られる。

「ハーメル、起きたのか?」

そう問いかけるが、反応はなくまだ寝ているようだ。

「やくそく……です、から」

ふにゃ、と緩んだ表情で寝言を言われ、思わず局長はふっと吹き出す。ナイチンゲールが訝しげな表情を浮かべる中、局長はその鼻筋の通った鼻先を軽くつつき、「今度は覚えておくんだぞ」と局長は笑った。

END.

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