「列車内は禁煙よ」
カフカが気配を消して姫子の部屋に忍び込むや否や、部屋の主は本から目を離さずにそう言った。こちらから背を向け、椅子に座っている姫子にすぐに気づかれ、気配は消えても匂いは消せていなかったという殺し屋としては致命的な基本的ミスに自嘲する。胸元のスーツを掴み、スンスンと匂いを確認したが自分の匂いに慣れすぎたのかあまり感じなかった。
「列車では吸ってないわ。匂う?」
「臭いわ。珈琲の匂いが台無しになるじゃない」
赤毛の美女は眉間に皺を寄せコーヒーを片手に一口飲み、「あぁ、最悪」と大袈裟にため息をつく。珈琲と煙草の匂いが混ざるのはかなり嫌なようだ。そんな顔も好きだったりするから、カフカは自分の性格の悪さに笑う。
「知ってた?ブラックコーヒーと煙草の匂いが混ざると、最悪の匂いがするのよ」
「そう」
赤髪の女は自分に一瞥もくれずに次々と非難していく。今日の姫子は機嫌が悪くて、つれない。そんな姫子の注目を集める方法を何通りも攻略しているカフカではあったが、少しばかり、自分を一切視界に入れない姫子は面白くなかった。対姫子専用の承認欲求が滾り、星核ハンターは後ろから姫子の首に腕を巻き付け抱きしめる。
「ちょっと!匂いがつくから離れなさ───んんっ!?」
怒った姫子が振り向き、その瞬間を見逃さずカフカが身体を引き寄せキスをする。煙草と珈琲の味が混じり合い、不快な姫子は抵抗するがカフカは舌を入れて更に深く口付ける。
「ん、ふぅ、やめっ….!!なさい!!」
「うっ….!!」
頭に血が登った開拓者は肘で星核ハンターのみぞおちに渾身の会心ダメージを与え、その痛みでカフカは腰を折る。お腹を抱えながら、紫髪の女は不満を訴える。
「酷いわ、姫子」
「どっちがよ!」
はぁ、とため息をつく姫子の唇の上には彼女の赤の口紅がよれ、自分の紫の口紅色が付着し混ざり合っている。それを見た星核ハンターは独占欲を満たされ、そっと人差し指で姫子の唇をなぞり自分の跡を撫で色をなじませる。何、と無言の金色の睨みを返されたが、ここに来て初めて自分の事を見た姫子にカフカは嬉しくなりニヤニヤする。自分は本当に性格が悪い。姫子の端正な顔が歪むのが特に好きだなんて。
「平凡で君に忘れられるキスをする位なら、最悪で忘れられないキスがいいわ」
「……最低」
その後、ポケットにしまっていた煙草は姫子にパッケージごと握り潰された上にその場で燃やされ破棄された。しばらく禁煙生活にしないといけないわね、とカフカは自然に思い、姫子に対して随分甘く、物事の判断基準に彼女が絡むようになっている自分を自覚し、くつくつと笑った。
END.
2023/7/23 pixivに公開