アイ・ハド・ア・コールド(kafhime/カフ姫)

 カフカが目を覚ました時、ふかふかのベッドに身を包まれていた。身体は熱くて、怠さが全身に纏わりつき不快な生温い汗が気持ち悪い。重い身体をゆっくりと起こすと「起きたの?」と傍で声がして、本を閉じる音が聞こえた。

「本当に。あんたは良い度胸しているわ」
「姫子?」

 赤髪の美女は呆れ顔で皮肉を言う。どうやらここは星穹列車内で姫子の部屋の中らしい。
 何故ここに自分はいるのか。ここに来るまでの記憶が曖昧で思い出せない。自分の考え込んでいる表情から善良で優雅なナナシビトは考えている事が充分理解出来たらしく、盛大なため息をついた。

「はぁ……あの状態なら覚えてないのも無理ないわ。あんたふらふらのまま私の部屋に入って来たのよ。身体熱いし、全身汗だくだし言っていること意味がわからなかったし、しかも負傷付きで血だらけ。急に倒れ込むし。あんたの前世は野良猫か何かなの?」

 自分の身体を見ると、姫子の寝巻きで腹部には包帯が巻いてある。姫子が応急処置をしたらしい。喉が痛いが、頑張って口を開く。

「姫子が、脱がしたの?」
「当たり前でしょ。あんた、汗びっしょりだし酷い状態だったのよ。大変だったんだから」
「ありがとう」

 喉の痛みに耐えながら掠れた声で素直にそう言うと、姫子は面食らったようで、「あんたが素直だと調子狂うわ」と失礼な言葉を交わされる。

「声が掠れてるわね。喉痛い?」
「ん゛」
「凄い声。蜂蜜レモンを入れてくるわ。熱は…まだあるわね。薬と水ここに置いてあるから飲みなさい」

 姫子は手をカフカの額に当てながら言う。自分の体温が高いからか、その掌は冷たくて気持ちいい。離れられるのが名残惜しくて、その手を反射的に掴んで額に押し付ける。

「姫子」
「何よ?」
「手、気持ちいい」

 自分の熱い頬にその手を当てがい目を瞑ると、やはりひやりとした冷たさを感じて気持ち良かった。面食らった姫子は「もう」と呆れているが、照れているのかほんの少し顔が赤い。今日は病人だからか、姫子が甘い。何も言わずに好きにさせてくれる。しばらく冷たさを味わった後、「良い子にして、薬を飲みなさい」と姫子が立ち上がる。自然と名残惜しい顔になっていたのか、髪を撫でられ、「そんな顔しないで。すぐ帰ってくるわ」と優しい顔で言われた。

 大人しく口に薬を入れて横になる。目を閉じるか、身体の熱さと頭痛と全身の倦怠感が一斉に襲ってくる。寝れずにいると、不意に甘い香りが鼻腔を擽り、それと同時に姫子の匂いも混じって近づき、目を開ける。

「甘い香り」
「匂う?あんた運いいわ。昨日桃を貰ってきたところなの」
「……桃」

そう呟き、ピンク色の見かけからして甘い果物を久々に見かけて、星核ハンターはふ、と笑う。星核ハンターの仲間達内で食べる事はあまり想像できない珍しい食べ物だ。誰かから桃を貰う事だって、奪う事はあれど想像できない。

「食欲ないかもしれないけど、切ってきたから食べれそうなら食べなさい」

姫子が傍のベッドに座り、サイドテーブルに桃とはちみつレモンを置く。

「あぁ、あの子…星にはまだあげてないから、内緒にしておいて。あんたが先に食べたと聞いたらきっと拗ねるわ」
「ふふっ。なら、今度自慢しなきゃ」
「あんた、人の話聞いてた?」

呆れてそう言いながら、カフカの身体を起こさせる。

「飲める?蜂蜜は喉に効くらしいわ」

「飲め…」と口を開かせて、紫髪の女は停止し一瞬考えて口角を上げる。

「ないわ。飲ませて?姫子」
「……あんたねぇ。病人だからって甘えるだけ甘えないの」
「姫子、姫子〜」
「顔が良いからって、そんな顔で甘えないで」

 姫子が自分の顔に弱い事を知っているカフカが甘えて粘り強くねだると、最終的に開拓者が折れる事になった。姫子はふーふーと蜂蜜レモンを冷ませて、カフカの口元までコップを持っていく。

「熱い?」
「大丈夫よ」

コップをゆっくり傾けて、白い喉に金色の液体を流し込む。蜂蜜には喉を殺菌する力があるらしい。喉の違和感を溶かすような甘みが通り抜けていく。

「もっと、ちょうだい」

姫子のコップを持つ手に手を添えて、角度を傾けてねだると、「ちょっと!」と焦る声が聞こえた。自分の思う以上に喉が渇いてたらしい。喉を鳴らしながら飲み干した。コップを机の上に戻す姫子に視線を戻すと、ジト目で見られていた。

「あんたね。飲めるなら1人で飲みなさい」
「飲めないわ。姫子、次はその桃食べさせて?」
「あんたってやつは…甘えないで自分で食べなさい」
「姫子、聞いて:」
「あ、こら!言霊をこんなことに使わないの!あー、もう。わかったわよ」

 姫子はため息を吐きながら切り分けた桃をフォークで刺して、星核ハンターの口元に持っていく。

「はい、口開けて」
「あーん」

 ニコニコとご機嫌の口を広げ、一口大の桃を口に入れほうばるカフカ。程いい冷たさの桃の甘く爽やかな食感がじんわりと広がっていき、イガイガした喉越しに効く。

「美味しい」
「よかった。もう一個いる?」
「欲しいわ」

 雛鳥のように口を開けて待つ女に姫子がまた口に入れて、紫髪の女は満足そうに咀嚼する。桃汁が垂れて口元を汚し、透明な液が口の端から流れていく。

「あぁ、もう。溢れてるわ。あんた、子どもなの?」

 ナナシビトはティッシュでカフカの口元を拭いてあげる。大人しくされるがまま姫子の行動をじっと猫の様に見つめている。

「結構汗かいてるわね。背中拭きましょうか?」
「君、今日は妙に優しいね」
「普通よ。病人を請け負ったからにはあんたが一早くここから出るように世話してるだけ」
「ふーん?」

 背中を暖かいタオルでベトついた汗を拭かれて、気持ちいい。首も拭かれて擽ったくて身を捩る。

(他の人にこれをされるのは少し嫉妬するわね…)

 ふとそう思ったが、きっとこの善良で世話好きなナナシビトお人好しはするだろう。男性陣は兎も角、少なくとも星穹列車の星やなのかに対して同様の事はするだろう。

「タオル渡すから、前は自分で拭いて」
「あら、私達の仲じゃない。拭いてもいいわよ?」
「絶対嫌よ」

 パサっと雑に顔の上にタオルを被せられ、「残念」と言いながら前を拭いていく。その間、チラッと横目で科学者を見ると、続きの本に視線を落としていた。先ほどカフカが寂しがる発言したからか、側にいてくれる安心感と優しさが嬉しく感じて頬が弛む。

「ふふ、君は不思議な人だね。私を殺せば100億万長者よ」
「あんたの方が不思議ちゃんよ。あんたを匿ってカンパニーに目をつけられるのはリスクだけど、この状態でもあんたがすんなり殺される訳ないし、列車を破損させたくないのが本音よ」
「ミステリアスと言って欲しいわ。あら。カンパニーに見つかったらどうするつもり?」
「今回あんたを助けたのは私の意志ではないわ。あんたが言霊を使ったから助けたのよ」
「ふふ。事実を歪めるのね。私がそんな証言すると思うの?」
「いいえ。だけど簡単なお話しよ。世間的に私の言う事とあんたの言う事、どっちが信用されるかしら?」

そう言われて、カフカがムッとして、「憎たらしい女」と愚痴り、姫子は眉を顰めて続ける。

「それに。私はあんたの事は信用していないけど、あんたの星への扱いは信頼しているの。私が星にして欲しい事がまだある筈よ。それまではあんたは私を生かすと踏んでいるわ」

 その言葉にカフカはため息を吐いて両手を挙げて降参する。ただ興味深げに姫子目を細める。

「降参。それは否定しないわ。私にとってあの子は特別なの。運命とさえ言えるわ……ふふ、君は嫉妬するかしら?安心して。私は博愛主義だから」
「どっちに?星にってこと?はっ!まさか。自惚れないで。私はあんたがちゃんと嫌いよ。博愛?虚無主義ニヒリストが笑えるわ」さ

 嘲け笑う姫子にカフカの表情は暗く見えなくなる。

「…….姫子、嘘は駄目よ。嫌いな人にここまでしないわ」

 先ほど谷間を拭いたタオルを今度はカフカが姫子の顔に被せる。喚く前にカフカが姫子の腕を引き、ベッドに引き摺り込み身体ごと抱きしめる。完全なる不意打ちで、病人なのに力が強く抵抗する隙を与えられなかった。

「っ!!カフッ!!」
「姫子:聞いて」

 目をタオルで隠されたまま、耳元で囁かれ、姫子はゾクゾクとした感覚とめまいが襲い掛かり目が虚になる。

「私に本音を話して」
「あ…あぁ……カフカ。私、あんたの事───」

 そこまで口を開いた瞬間、カフカが突然姫子の口元を唇で塞ぐ。

「ンンンッ!!?ンンーーー!!」

 暴れる姫子。数秒味わった後、ペロッと姫子の唇を舐めて離れるカフカ。

「はぁ。ふふ、止めた。言わなくていいわ。知ってしまったら、やっぱり面白くないわね」
「あんた、殺す気!?突然キスするなんて!息出来ないじゃない!!最低っ!」

 タオルを顔から剥がし、顔を真っ赤にした姫子はカフカに全力投球する。10ダメージ程度のほんの僅かなダメージであったが、カフカがよろけてベッドに沈む。また高熱がぶり返し、多量の汗が額から出て、震えている。

「え?あんた」
「……はぁ。流石に限界ね」
「このギリギリの状態であんなことのために言霊能力使うなんて信じれないわ!!」
「君の本音を聞く事は些細な事ではないと思うけど」
「馬鹿!もう口を開かないで!寝なさい!」

 カフカは無理やり薬を飲ませられ、素直に目を瞑る。姫子は側に椅子に座りながら震える身体を摩ってくれる。しばらくそうしていと薬が効いたのか、震えが止まり落ち着いた。無言の間の後、姫子は汗でベトついた紫の髪をとかしながら口を開く。

「……運命の奴隷エリオの脚本でここに来るように言われたの?」
「あら。口開いていいの?」
「言いたくなかったら開かなくていいわ」
「看病のお礼に特別に教えてあげる。この事に関してはいくつか可能性があったわ。実は私は銀狼に助けを求める事も出来たし、自分で対応する事も出来た。ただ、エリオによると私が君に助けを求める事が1番興味深かったらしいわ。私を変える糸口になる可能性がほんの少しあるみたいよ」
「そう…残念ながら、きっと私はあんたをそこまで変えられないわ。あんたも私を変えられない」
「そう思うの?」
「ええ。私は星穹列車のナビゲーターであんたは色んな罪状を背負う憎き星核ハンター。それ以上でもそれ以外でもないわ。そうであるべきよ」

髪を撫でる姫子の手を重ねて目を開く。パープルにマゼンダを垂らした深い瞳が姫子を捉える。姫子は深淵を覗いているような感覚を覚えた。執着、束縛、虚無。様々な感情がそこには混じっているようだった。

「それでもいいわ。側に…近くにいて頂戴」
「いやよ」
「私が会いに行くわ。これは運命よ。あの子がいる限り、私と列車には繋がりがあるもの」
「やめて」
「どうして?私たち、きっと退屈しないわ」

指と指の間に指を絡められ、加えて上から紫の糸でガチガチに絡められ逃げられない。その紫の蜘蛛のような糸からは獲物を逃さない意志を感じ取れた。しかし、病のせいか初めて見た弱々しさと脆さを感じて姫子は逆に心配になる。

「こんな事に能力使わないで、カフカ。私は逃げたりしないわ」

姫子がそう注意すると、カフカはその言葉に安心したのか体力が尽きて倒れ込んだ。姫子はギョッとしたが、静かに息はしており、疲労で眠りに入っただけらしい。人間的な所がある部分に正直に驚くが、その素顔の寝顔が幼く、憎たらしいながらも可愛いとさえ姫子は思えた。

「顔は可愛いのに」

どうしたらこんなに性格と態度が歪むのかしら、と頬を撫でる。紫の糸は既に消えたが、姫子はどうしても繋がれた右手を離せなかった。そこに湧き出た感情について自分でも計り知れないが、姫子は大方予想は付いていた。

「私も降参よ」

紫の前髪を左手で上にかきあげて、姫子は額に唇を寄せる。口紅がくっきり額に付着し、せいぜい仲間にからかわれるといいわ、と敢えて残し、そのまま右手を繋がれたままベッドに顔を伏せる。

「おやすみ、カフカ。早く良くなりなさいよ」

 その声は優しくて、カフカの口角は少し上がった。
 
⭐︎

 姫子が起きた時、カフカはいなくなっており、いつの間にか自分がベッドに寝ていた。起き上がって胸元を見ると、谷間にトランプのカードが刺さってあった。

 ハートのクイーン。トランプの表には「ありがとう。また来るわ。桃のお礼も込めて」と書いてあり、「また来るの?」と頭痛と寒気がした。しかし、その症状はカフカだけが原因ではなかったようだ。咳が止まらず、喉が痛い。

「……やられたわ。風邪を移された。やっぱりあいつ嫌いよ」

 はぁ、とため息吐く姫子の頬にはくっきりとしたキスマークがあり、なのかに指摘されるまで彼女は気づかなかった。
 トランプの裏には「キスのお返しは先にしとくわね」と書かれてメッセージとキスマークがあったことも。
 
 

END.

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